気が合わない人とうまくやる方法

気が合わないひとがいる。

仕事で関わるのそのひとのことを、わたし自身は好きでも嫌いでもない。

苦手なタイプというわけでもない。

ただ(今のところ)気が合わないのだ。

お相手が、わたしとかたくなに目を合わせようとしない。

朝の挨拶、ちょっとすれ違うとき、

「おはようございます」「おつかれさまです」と声をかけるわたしに、目を逸らすように会釈する。

他の方にも同じ対応ならさておき、他のひととは談笑している。

(わたしは…メドゥーサ?)

わたしの普段のふるまいが、そのひとを石に変えそうな威圧を与えている可能性を探したけれど、特に思い当たるふしもない。

(今のところ)気が合わないひとに(今のところ)と”かっこ仮”をつけている。

ラベリングをつけると本当にそうなってしまう。

関係性を自ら決めつけないほうがいい。

わたしはそのひとになにかしたのかもしれない。

あるいは相手が、わたしに何かを、あるいは誰かを投影しているのかもしれない。

わたしがなにかしたのかもしれないと、心をざわつかせていた時期があった。

しかし今はまったく大丈夫になった。

帝王学を学び始めて、気が合わない人とうまくやる方法を知ったからだ。

それは「礼儀を重んじる」こと。

相手の態度やふるまいにかかわらず、挨拶やお礼をしっかり伝える。

「おはようございます」

相手が挨拶をしてこなくても、こちらは挨拶をする。

すれ違うときは、会釈する。

「おつかれさまです」

どんな相手でも礼儀を重んじる。

ただ、それだけだった。

するととても気持ちが楽になった。

わたしが大切にしたいことを大切にするだけだからだ。

相手次第で態度を変える必要がない。

相手というパラメータ(変数)が、わたしをぶらすことがなくなった。

すると心が落ち着くようになった。

「自分が源」という考えだ

なにが起きても、自分を源で生きるだけ。

超シンプル。

たとえば、自分にとって快い対応をするひとには快い対応を選び、そうでないひとには冷めた対応をする。

そのような態度の根っこには、”わたしの機嫌は相手次第”という、「他人が源」の考えがある。

それだと相手次第で気分が変動し、苦しくなる。

自分がいい気分になるか、嫌な気分になるかは、相手次第といった「他人が源」の生き方は、自身の軸をブレさせる。

相手によって、自分の機嫌を振り回されることを、自らが選んでいる。

仕事で関わる以上、(今のところ)気が合わないひととの関わりは避けられない。

だからこそ、相手を大切にし、謙虚で在り、礼儀は尽くす。

そういうことを帝王学で学び、実践している。

シンプルで、心地いい。

その学びが必要なひとが、この文章を読んでいるなかにもいるかもしれません。

リンクを置いておきますね。

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やさしい帝王学