• 可能性を見ると、見えるもの

    高校入学当時から、ほとんどしゃべらない生徒だった。

    声はかぼそいを通り越し、ささやき声ですらなかった。

    表情もとぼしく、笑った顔も困った顔も見られなかった。

    「はい」か「いいえ」で答えられるような質問にも、口を開こうとしなかった。

    何かを問うと目をしばたたき、うっすら首をかしげ、ぼうっと虚空を見つめる。

    言葉にも感情にも出会えないまま、相手が困惑してその場を去るまで動かない。

    そんな生徒だった。

    名前を呼んでも、相手はこちらを見ようとしない。

    なにかを見ているようでなにも見ていない、焦点のあわない視線だった。

    一年かけてゆっくり接した。

    わたしは担任ではなく、その子と接する時間は限られている。

    ならばと与えられた国語の時間、ほぼ毎回おこなう漢字の小テストにコメントをつけていた。

    全員とやりとりしていたので、いわば生徒人数ぶんのプチ交換日記だ。

    その子の小テストは空欄が多く、ぽつぽつと書かれた文字は消え入りそうな筆圧だった。

    「ここは止めます」

    「ここ、惜しかったね」

    「ここは、跳ねをしっかりピン!と」

    「ここは、くさかんむり」

    漢字の小テストを返却するときはただ返すのではなく、口頭でも言葉を添えた。

    相手がどんなに無言でも続けた。

    彼の書く漢字が、文字が、力を帯び始めたのは一年ちかく経つ頃だった。

    わずかに、けれどたしかに、筆跡に力が宿っていくのがわかった。

    彼は高校2年生になり、かつて0点を取っていた漢字テストで、先日ついに解答率が8割を超えた。

    字のかたちも、大きさも、文字の濃さも、成長が見られた。

    とね、はね、はらいが適所でほどこされた漢字を書ける数が増えている。

    小テストで書いてもらう本人の名前も、以前はうねうね這うような「続け字」だったのが、綺麗に書いてくるようになった。

    ある日、ふと気づいた。

    彼が書く自分の名前の漢字が、微妙に間違っている。

    小テストの記名が、間違っている。

    ヘビのような続け字で書かれていたので、これまで誰も気づけなかったのかもしれない。

    「〇〇さん、自分の名前の〇のところ、ここに書いてもらっていいですか?」

    小テスト返却の際、ホワイトボードに書いてもらった。

    彼はすなおに従い、戸惑いながら自分の名前を書いた。

    惜しいが、やっぱり違っていた。

    正しい字の書き順とかたちを教えると、彼はハッとした顔つきになった。

    そして、「えー・・・」と笑った。

    恥ずかしさの奥に、嬉しそうな表情が見えた。

    これまで自分の名前を書き間違えていたと気づいた瞬間だったのかもしれない。

    それから同じ字を、いっしょに何度も練習した。

    ホワイトボードが漢字練習帳になった。

    綺麗な字を書けるようになったあと、漢字のプリントの正答率がさらに上がった。

    「〇〇さん、漢字検定受けてみませんか?」

    突然おもいついた提案にすこし驚いた顔の彼の目に、ちらっと光が差し込んだ。

    「えー、やってみたい・・・かも」

    彼はもう虚空ではなく、教科書を、プリントを、ホワイトボードを、わたしを見る。

    一年かけて、彼と目が合う回数は桁違いに増えた。

    言葉も増え、表情の種類も増えた。

    驚いた表情も、楽しそうな表情も、見せるようになった。

    奇跡でも魔法でもない。

    相手に可能性があると見るから、相手の可能性と目を合わせることができる。