かろんかろん
きゃらきゃらん
かろろろろん
通りがかりに不思議な音が聴こえた。
音の鳴るほうへ足を向ける。
境内の手水舎に風鈴がさがっていた。
風のような空気のような、見えないものを見ようと目を凝らしているこの頃だ。
誰かの言葉の裏側、表情の向こう側。
言ったことと言わないことの間にあるもの。
私はそのたぐいからずっと目を背けてきた。
見ないようにしていたら、見えなくなった。
アイヌの言葉には雪の種類を表すものが数多くあるそうだ。
雪の状態が命や生活に直結する環境で、雪をこまやかに区別する必要があった。
雪の種類を判別できるのは、雪を見て感じているからだ。
雪と異なり、空気のような「見えないもの」を細やかに区切って名前がつけられるものではないかもしれないけれど、私は空気を読もうとしている。
もともと空気を読めないし、読まないし、関心もうすい。
大勢がいう「いいね」の良さがわからなかった。
今もよくわからない。
だけど社会とつながらないほど強くはないので、「いいね」と言う。
走るの大好きでドッグランを駆け回る犬たちのなかで、猫が犬のふりをしてドッグランを走る。
社会に馴染めない自分を笑って誤魔化していた。
苦しくなってドッグランから離れ、再び空気を読めないし、読まないし、関心もうすい自分に戻った。
そうやって生きてきた私にとって、空気を読むのは簡単ではない。
いまも公式行事や冠婚葬祭のマナーが身につかない。
なんでだろう?とぽかんとしてしまう。
「空気を読む」は長いこと、ネガティブな暗号だった。
解けない。
だけど、ご縁をいただいてたくさんの人と会う機会をいただくうち、「空気を読む」ことのポジティブな側面もわかってきた。
周りの顔色を窺って自らを縮こませるような、ネガティブなものばかりではなかった。
忖度とか同調圧力とか、そういう重たい空気もあれば、逆もある。
空間に満ちた愛情や相手に気づかせない配慮の、軽やかな空気。
かといって、空気を読もうとこだわると、本質が読めなくなる。
目を凝らすほど見えなくなる。
見ようとしないと見えてこないものがある。
どちらもその通りだと思う。
正解のない問いに応答したいと思っている。
期待に応えるより大切な、問いに応えたいと思っている。
「目で聴きなさい」
「耳で見なさい」
お師匠の声が聴こえる。
風鈴が鳴る。
見えない風を見る。


