正解のないコミュニケーション

 

定期テストを返却するとき、意識していることがある。

生徒一人ひとりと向き合って、面と向かって話す時間を取ること。

 

ふだんは、生徒一人ひとりと話す時間があまり取れないのが現実だ。

担任でもなくただのいち講師として、生徒に向き合える時間は時間的に限られている。

 

だからこそ彼らが何を感じているかを知りたい。

なので、テスト返却の際にただテスト総評をするだけでなく、目の前の生徒がなにを感じているか、考えているかを一人ずつ時間を取って聴くようにしている。

 

話を聴く時は、自分の気持ちを伝えるのが不得手な生徒の、それぞれの心情にできるだけ思いを馳せる。

無言・沈黙の種類を感じ取るために質問をするときもあれば、ただ沈黙を共有するときもある。

正解のないコミュニケーションの世界で、いち講師を超えた人間がそこにいて、ただ向き合っている。

 

祈りにも近い。

 

私はその子の可能性に焦点を合わせ続ける。

可能性を諦めれば、それが在り方ににじみでるからだ。

 

無表情、無発声のマスクの向こうで、ときたま、生徒がすこし微笑んでくれるときがある。

そんな折にほんの少し、心から笑ってくれる瞬間がある。

それがわかるときがある。

笑顔がすべてではないけれど、少しだけ救われる。

 

薄紙を重ねるように正解のないコミュニケーションを続けながら、意図して微笑む。

私が救われたように、私が笑うことで相手の心がすこしでも緩むなら、それでいい。

 

「先生、きょうも元気ですね!」

 

午前中の授業を終えて戻っていると、階段で通りすがった先生が言う。

 

コミュニケーションがうまくいくかどうかの結果は、私にはコントロールできない。

代わりに、微笑みはコントロールできる。

 

相手の可能性を見るのは同時に、私自身の可能性に焦点を合わせることだ。