「ちゃんと」のワナ、「しっかり」のアダ

長めのまばたきしたら
10月になっとった。
日中はまだ暑い福岡です。


こんばんは。
しんがきです。


先日 "Let's Talk Art"という
「対話型鑑賞」イベントを
オンラインで楽しんできました。
しかも美術品の。
水墨画1点、油画1点、彫刻1点。
東京国立近代美術館(MOMAT)
主催の対話型美術鑑賞会
オンラインイベントです。


「対話型鑑賞」って知っていますか?
私は最近知って気になっていました。
美術館や博物館での展示物を
複数の鑑賞者が対話しながら
作品を多角的に楽しむ試みだそうです。


私は芸術に明るくないのですが
「この作品のどこが気になりますか?」
「いい視点ですね!実はこの作品・・・」
と、盛り上げてくださる
案内人の女性がとても素敵で
それまで見たこともない
3つの芸術作品を楽しく鑑賞できました。
こういうイベント、また参加したい。


案内してくださった方は
TOEIC990点を十数回獲った英語達人。
イベント参加者は全員日本人で
英語オンリーの約2時間(!)


Zoom退室したら
めちゃくちゃお腹空いてて
みたらし団子を一気食いしました。


こんなに長い時間英語を話すのは
16年ぶりくらいでした。


文法やボキャブラリーは
前と変わらず頼りないものの
16年前より英語を
「楽しんで」話せている自分に
びっくりしました。


ということは
昔は超自意識過剰だったんだな。
と過去の自分を振り返りました。
あと、
超完璧主義だったんだな、とも。


かつての私は

英語を「ちゃんと」話さなきゃ!
文法を「しっかり」身につけなきゃ!

と意気込む完璧主義なわりに
超超サボり魔なので
目指す英語力に必要なだけの
勉強量がともなわず、
「ちゃんと」「しっかり」
できない自分が嫌になり
結局コミュニケーションしないという
0/100の、ゼロ側の人間でした。


完璧主義というより
完璧願望主義だね。


コミュニケーションも
勉強もしないで
英語力どうやってつけるんだ。


「ちゃんと」やりたい
「しっかり」しなきゃ、と気負いが
アダとなっていたんですね。


もしかすると、あなたも
「ちゃんとしなきゃ」
「しっかりしないと」
が口グセ・思考グセになっていませんか?


「ちゃんと」「しっかり」を
数字に置き換えるなら「100」


なので
「まだ(100)じゃない、ダメだなぁ」
「今日も(100)できなかった」
と、
「完璧か、それ以外か」の
雑なくくりになりがちです。
「世の中には2種類の男しかいない。
俺か、俺以外か」
ローランドみたいに。その例え?


「ちゃんと」やりたい
「しっかり」したい
そう思うこと自体は構わないけれど、
強すぎる思いは、結局
「行動という出力」を
0に抑えつけてしまう。


「完璧主義」
そのパーフェクトな響きの割に
パーフェクトにほど遠い、ゼロ。


0か100か、と
雑なくくり方をすると
途中のプロセスや、
習得しているさなかの
小さなステップ(成功体験)を
見落としてしまいます。


なので、実はずっと
「成功し続けている」
途中過程の自分に気づけません。


昨日は3で、今日は4。
100に1、近づいたのに
その努力を「なかったこと」にされる。


それって苦しいし、切ない。


もし、あなたも
完璧主義
(あるいは完璧願望主義)に
はまって苦しくなっているなら


0と100の間にある
1、2、3、4、、、の過程を
測れるように
プロセスの目盛りを
小さくしてみましょう。


少しずつ
上達していく自分を認めること。


「少しずつ」なペースの自分を
よきかな、と捉えること。


完璧主義が邪魔して
二重丸や花丸をつけられないなら、
小さいマルをつけたらいいんです。
「諦めなかったのエライ」とか。


初めての自転車にすぐに乗れた?
パソコンのタイピングをすぐマスターした?
最初から包丁を上手に使えた?


「ちゃんと」じゃなくて、ほどほど。
「しっかり」じゃなくて、少しずつ。


「成長」は
右上にまっすぐ伸びる直線ではありません。


上がったり下がったりしながら
諦めないで続けた時間を味方にして
少しずつ上がっていきます。

 

というわけで
今日も仕事の合間に
ちょこっと英語を勉強しますよ。


今日から10月。
2022年もあと3ヶ月ですね。
何が起きてもおかしくない世界だから
今日生きてるだけでエライ。
それでもうマル。


少しずつまいりましょう。