急がば回れ、沈黙で

「・・・」

つかの間、流れる沈黙。

あれ

何か、まずいこと言った?
もしかして怒ってる?
それとも伝わってない?
何て言えば正解なのか?
えーとえーとえーと。


そうじゃなくて。


こんばんは。
しんがきです。


あふれる情報にコンテンツ
ネットで仕事も買い物もできて
移動時間が減り
買い物へ出かける時間も短縮できて
生まれたはずの時間は
真空を嫌う物理法則の通り
別の「やること」で
埋め尽くされる。


世界が便利に効率的になるほど、
なぜか空き時間が減っていく。


私たちは、打ち合わせも商談も
友人知人とのやり取りも
要点を話すようにしようと努める。


だって
「時間泥棒」という言葉もある。
「タイパ」なんて言葉も生まれた。
(タイムパフォーマンス=時間対効果)


だから
動画や音声コンテンツは1.5倍速で視聴。
音声アプリには「沈黙をカットする」機能さえある。


つまり、沈黙はムダなのだ。
「無音」は非効率で益を生み出しはしない。

 

・・・ほんとにそうか?

 

私たちは便利になるほど忙しくなって
時間の価値は
昔よりずっと高くなりました。


相手の時間を奪わないように、と
心をくばるようになり、
自分の時間を奪われることに
敏感になりました。


それで早口になってしまったり
沈黙を埋めるように
伝えるべき情報を繋いだりします。


ですが、沈黙は
話すことと同じくらい大切です。
「伝える」と「つぐむ」の両方で
コミュニケーションが対流します。


相手に伝わってないんじゃないか。
そんな思いがよぎるとき
つい私たちは(特に私は)
言葉に言葉を重ねがちです。
背脂こってり言葉マシマシ言う系。


たてつづけに繰り出しても
のどに詰まるってば。


相手が沈黙するのは
怒っているとは限りません。
意味をはかりかねているかもしれないし
わかろうとしている時間かもしれません。


沈黙を恐れる理由の一つは
「相手が何を考えているかわからない」
からではないでしょうか。

それで

何か、まずいこと言ったかな?
もしかして気分を害した?
それとも伝わってない?
と、あわててしまうのです。


でも、理解に要する速度や
言葉の定義解釈の違い、
生きてきた言語領域や
バックグラウンド、
コミュニケーションの心地よい速度、
それらがピタリと合致する人はそういません。
めったに出会わないから
「阿吽の呼吸」がキラリ光るのであって
日常にゴロゴロありふれた奇跡ではない。


最近は、行間を読めない人が増えているそうです。
その原因の一つは
「言語化してなんぼ文化」が
浸透しているからではないでしょうか。


「言ってくれなきゃわからない」
「伝えたいことは言語化しないと」


最近のマンガやドラマや小説は
「行間の多い」作品が
好まれない傾向にあるそうです。


行動のすべてに説明やキャプション、
ナレーションを求め
心理描写がことごとく言葉で表現される。


でも、ですよ。


言葉は便利なようで、実のところ
超・超・超不便な発明品でもあります。
だって
心理>言葉
言葉がカバーできない心理がずっと多いじゃん。


1分で話せとか
要点を伝えよ、など
「わかりやすさ」の功罪で
言語=わかりやすい
非言語=わかりにくい
の構図が生まれたのかもしれません。


わかりやすい言語が、単純系なら
わかりづらい沈黙は、複雑系でしょうか。
複雑な、もしくは多様な。


その沈黙は、もしかすると
理解を待つため贈られた時間かもしれない。
意図を汲むために用意したのかもしれない。
感情をじわり染み込ませるためかもしれない。
何かを気づいてほしいサインかもしれない。
やっぱり怒っているのかもしれないし、
もしかすると感極まっているかもしれない。
次に発するメッセージのために
呼吸を整えている時間なのかもしれない。
それとも・・・


沈黙は、解釈がこれほど豊かです。


わかりやすさに逃げず
お互いの信頼を育むのに必要な
「待つ時間」が
沈黙なのかもしれません。


黙る、つぐむ、沈黙。
雄弁な無音を
私たちはもっと信じても
いいのだと思います。


沈黙がこわくて
言葉を重ねまくったり
していませんか?


沈黙は怖いばかりじゃなく
互いを待ちあえる
優しい時間です。

 

音楽や絵画に
こしらえた無音や余白が
名曲名画たらしめるように
私たちはもっと沈黙を味方につけて
無言のコミュニケーションも
楽しんだらいいんじゃないかな。


言葉のキャッチボールだけじゃなく
沈黙も渡しあえる
豊かな関係を築いていける気がします。


急がば回れ、沈黙で。

 

 


P.S.

ああ、今日の記事は
自分にブーメランがバスバス飛んでくる。
優しい沈黙の使い手になりたい。


P.P.S

なんと
「無音」でできた楽曲があった。
アメリカの作曲家ジョン・ケージが
1952年に作った曲「4分33秒」
ずっと無音。
観客の咳払いやお腹の音まで包んだ芸術
YouTubeで聴けます。音のない世界を。
https://www.youtube.com/watch?v=JTEFKFiXSx4&t=396s

 


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