「自分は欠けている」と思っていた

朝の便で東京へ行くので、早く空港に着いてメルマガを書いている。

 

先月は東京と奈良、宮崎へ行った。

飛行機、新幹線、高速バス。

 

スーツケースをほぼ毎週パッキングしていると、今が何月の何曜日なのかわからなくなった。

献血でもらった卓上カレンダーに今日を見つけられず、10月になったと知った。

 

そして今からまた一泊二日で東京へ向かう。

 

始発のバスと地下鉄を乗り継いで、福岡空港のラウンジから朝日を眺める。

空港にはできる限り早めに着いて、そうやって空けた時間いっぱい一人で過ごすようにしている。

日記やメルマガを書いたりしたあとは、だいたいぼーっとしている。

ぼーっとしたいから、どれほど眠くても早朝に起きて移動する。

 

いろんな役割、さまざまな役目、与えられた機会。

いろんな肩書きで呼ばれ、その肩書きに沿った自分になる。

肩書き付きの自分で生きながら、何者でもない自分を意識する。

 

時間の使い方が変わってきた。

 

人と話すのが苦手だからと、他者との深い関わりを避け社会の端で日銭を稼ぎながらしのいでいた生き方を変えて10年になる。

 

人との関わりを避ければひとりの時間がたっぷり得られた。

その代わり、人と関わらないだけ自分のこともわからないままだった。

「わかったつもり」の自分をもてあまして生きていた。

 

今は方向性を真逆にしている。

つまり、人との関わりを意識して積極的にしている。

人と関わる数だけ、関わる時間の長さだけ、対話の深さだけ、自分のことがわかるようになってきた。

 

「欠けている」と思っていた自分のある部分が、そうではないと気づいた。

 

「欠けているのではなく、そういうかたちをしている」

そう気づけたのは、関わったたくさんの人たちが、鏡となって教えてくれたからだ。

 

人と積極的に関わるようになって気づけば10年が経った。

だけど、性格が変わったわけではない。

 

人と話すのは好きだけど、ひとりで過ごす時間はもっと好きなまま。

人と話すのはおもしろい。

そして、ひとりになると深くゆっくり息をつける。

 

あちこちに行っていろんな人と関わる豊かさを感じながらも、今が何月何日の何曜日でどこにいるのか、時間や空間を感じられるのは、ひとりで居るときだ。

 

一日もらった時間は変わらない。

どうせなら、濃い時間を過ごしたい。

 

たくさん人と会いたいから、できるだけ一人の時間をつくりたい。

 

忙しい豊かさと、余白の豊かさは同等だと思う。

 

他者の中にいる自分と、孤独な自分はどちらも豊かだと思う。