決めることは捨てること
決めることは捨てることだよ、と教わった。
生活を良くしたい、とか、人間関係を良くしたい、とか、仕事を改善したい、とか。
現状を変えたいなら、選択肢を減らすといい、と。
仕事もプライベートも、選択肢やアイテムを増やそうとしてきた。
資格やスキルや経験の、一体どれが役に立つのか見当もつかない。
ならばできるだけ身につけておいたほうがいいだろうと、深く考えずにアイテムや選択肢を増やしてきた。
それで履歴書の資格欄はそこそこ埋まっても、自分がなりたいものに近づいたかは別物だった。
自分で仕事を始めて、自分で決めないといけない場面の多さに面食らった。
上司や職場が与えるものをこなすのではなく、自分が自分に与えるのだ。
なにをすれば最善か判断つかずに、ますます選択肢を増やしていき、しだいに自分が何屋さんなのかわからなくなった。
そうして「決めることは捨てること」だと教わった。
増やしたアイテムやスキルを、自分自身と同一視したのだろうな、と思う。
だから決める=捨てるを促されたときに、自分を削るようで怖かったのだ。
増やすことは豊かだと信じていたぶん、実践するのは怖かった。
逃げ道を残したがる自分の弱さが、みるみる浮き彫りになるのだ。
それでも決め、捨て、削るを繰り返すうちに、怖さの正体がすこしずつわかってきた。
削ぎ落とす選択肢が、自分のアイデンティティだと錯覚しているから怖かったのだ、と。
だとすれば、大丈夫だ。
削って捨てての果てにそれでも残っているのが、自分なのだろうとようやくわかってきた気がする。
仕事に限らず、自分の実生活にあてはめてみると、決める大切さがよくわかる。
たとえば、夏休みや年末年始などまとまった休みに、あれこれやりたいと思うとき。
これをしよう、後回しにしていたあれもやろう、と張り切って、休み最終日にどれも終わらず不完全燃焼な気分になる。
選択肢ややることリストを増やすばかりで、決めないでいるとそうなる。
☆
「決める」の「決」という字は「えぐる」「切る」を意味するのだそうだ。
英語だと「decision」で、これも語源は「切る」を意味するらしい。
だから何かを決めるときに痛みがともなうのか、と、納得した。
増やして身につけてきたものから、自分だと錯覚していたものをえぐる。
だけど、その痛みすら錯覚なのかもしれない。
毎日やることは山ほどあっても、大切なものはほんの少しだけ。
大切なものは人によって違うから、自分で決めるしかない。
決めるとき、何かを捨てる。
迷った時間のぶんだけ、捨てたぶんだけ、軽くなる気がする。
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