決めることは捨てること

決めることは捨てることだよ、と教わった。

 

生活を良くしたい、とか、人間関係を良くしたい、とか、仕事を改善したい、とか。

現状を変えたいなら、選択肢を減らすといい、と。

 

仕事もプライベートも、選択肢やアイテムを増やそうとしてきた。

資格やスキルや経験の、一体どれが役に立つのか見当もつかない。

ならばできるだけ身につけておいたほうがいいだろうと、深く考えずにアイテムや選択肢を増やしてきた。

それで履歴書の資格欄はそこそこ埋まっても、自分がなりたいものに近づいたかは別物だった。

 

自分で仕事を始めて、自分で決めないといけない場面の多さに面食らった。

上司や職場が与えるものをこなすのではなく、自分が自分に与えるのだ。

なにをすれば最善か判断つかずに、ますます選択肢を増やしていき、しだいに自分が何屋さんなのかわからなくなった。

そうして「決めることは捨てること」だと教わった。

  

増やしたアイテムやスキルを、自分自身と同一視したのだろうな、と思う。

だから決める=捨てるを促されたときに、自分を削るようで怖かったのだ。

 

増やすことは豊かだと信じていたぶん、実践するのは怖かった。

逃げ道を残したがる自分の弱さが、みるみる浮き彫りになるのだ。

それでも決め、捨て、削るを繰り返すうちに、怖さの正体がすこしずつわかってきた。

削ぎ落とす選択肢が、自分のアイデンティティだと錯覚しているから怖かったのだ、と。

 

だとすれば、大丈夫だ

削って捨てての果てにそれでも残っているのが、自分なのだろうとようやくわかってきた気がする。

 

仕事に限らず、自分の実生活にあてはめてみると、決める大切さがよくわかる。

たとえば、夏休みや年末年始などまとまった休みに、あれこれやりたいと思うとき。

これをしよう、後回しにしていたあれもやろう、と張り切って、休み最終日にどれも終わらず不完全燃焼な気分になる。

選択肢ややることリストを増やすばかりで、決めないでいるとそうなる。

 

 

「決める」の「決」という字は「えぐる」「切る」を意味するのだそうだ。

英語だと「decision」で、これも語源は「切る」を意味するらしい。 

 だから何かを決めるときに痛みがともなうのか、と、納得した。

 

増やして身につけてきたものから、自分だと錯覚していたものをえぐる。

だけど、その痛みすら錯覚なのかもしれない。

 

毎日やることは山ほどあっても、大切なものはほんの少しだけ。

大切なものは人によって違うから、自分で決めるしかない。

 

決めるとき、何かを捨てる。

迷った時間のぶんだけ、捨てたぶんだけ、軽くなる気がする。

 

 

 

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