自分「以外」の人が正しいと信じていた話

本や新聞や雑誌には
正しいことが書かれていて
テレビでは正しい情報が語られていて

親や先生の言うことは正しくて
ダメだと言われたらそれを信じて
いいと言われたらそれを信じてました。


主義主張が矛盾している情報に
複数出くわしたら
自分にとって都合がよくて快い
正しさ以外は
見なかったことにしていました。

自分自身のことも
ずっと見ないようにしていました。

自分以外の人は正しい
(私は間違っている)
と長いこと信じていた半生、
はんなまじゃなくてはんせい。


あ、私の話です。


確信が深い人や
自信に満ちた人は、それだけ
正しさに比例していると思っていたし

疑いぶかい人は
疑える姿勢の強さそのものに
あこがれていました。


子どもの頃から
「自分以外の誰か」が
たしかなものに思えて
何十年も
自分の外側を信じて生きてきた。

「誰か」が誰かは
わからないけど
「正しい人」たちの人生の
脇役を
自分に割り当てられていると
なんでか思ってました。


それからなんやかやあって
やっと

「あ、これは私の人生か」

と思えるようになった頃から
自分のあいまいな輪郭を捉えようと
始めた遅咲きデビュー。
わーもう上映してるじゃん!
残り時間あとどれくらい?


それからほんの少しずつですが

確信の深い人や
自信に満ちた人の、それが
ハッタリかどうかの見分けが
なんとなく、つくようになり

疑い深い人ならではの
するどい視座と
臆病な思考停止に、ふと気づいたり。


長いこと脳みそも心も寝ていたので
寝起きみたいに
人生の焦点を合わせるのに
時間をかけながら
取り組んでいるところです。


「正しい」とか
「正しくない」とか
「間違ってる」とかの
白黒つけるたぐいの言葉を

この10年くらいで
使わなくなっている自分に
気づきました。


代わりに
起こる出来事を正否でジャッジしたり
白黒つけたがる自分の、弱さに
向き合う時間が増えました。

ヒリヒリしますよ。


自分の人生の舵取りを
おそるおそる始めてみると

起こる出来事や、自分や他者を
「正しい」/「間違っている」と
単純に線引きしなくなってきて

ヒリヒリやめんどくさいことが
増える代わりに、

生きている実感や喜びが
同じくらい増えた気がします。

まだまだ練習中です。
ヒリヒリするけど、楽しいです。


クライアントさんから、たまに

「しんがきさんは強い」
「行動力がすごい」
「それに引き換え私は弱くて」

と言われることがあるのですが


行動が大きかったり
発言が強いからといって
正しいわけでもないし、

行動が小さくて
発言が弱いから
間違っているわけでもないと思います。

「正しい」とか
「間違っている」とか
白黒つけないでいられると

妄想も含めて
敵が減っていくんだろうなぁと
私自身、感じています。


誰より手強い敵は自分だけれど
その実
ほんとは最強の味方なのも自分
なのですよね。
あ、ブーメランが飛んできた・・・


そんなわけで(?)旅の準備
内なる敵と味方がうごめきながら
少しずつやっています。

 

しんがき地球二周目の船旅奇行もとい紀行
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