桃太郎「VS」鬼?
「ボクのおとうさんは
桃太郎というやつに
殺されました」
「桃太郎」の鬼側の視点から
10年以上前に話題になった広告を思い出す。
桃太郎でも鬼でもない自分は、物語の外の「傍観者」のようでいて、実はそうではなかった。
いい人・悪い人と善悪のジャッジを無邪気に下す「加担者」なのだと気づかされる。
見方が変わり、味方が変わる。
ドラマや映画やアニメを観ていると、悪を成敗し正義が勝つ、わかりやすい勧善懲悪のお話が昔より減った気がする。
「鬼滅の刃」も、鬼が鬼になった経緯に触れ、悪人が悪人でなかった頃が示される。
わかりやすい悪も正義もたぶん、ない。
あるとすれば何かを見ないふりして単純化している。
被害者と加害者で分かれるわかりやすい関係性は、この世のどこにもないのかもしれないと思う。
「わかりにくい状態」は座りが悪い。
だから、わたしたちはわかりやすい構図に、わかりやすい理屈にあてはめようとする。
矛盾を減らして単純にしたがる。
矛盾を嫌う。
それは、出来事を理解するためというより、自分のストレスを減らすため。
自分が生きやすくするため。
桃太郎の広告には、小さくコピーが添えられている。
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一方的な「めでたし、めでたし」を
生まないために。
広げよう、あなたが見ている世界。
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正論でも、正しくないことがある。
悪い考えに、救われることもある。
きれいごとを生きようとして現実に打ちのめされる人も、できるだけ夢を見ないよう注意深く生きる臆病さも、美しいと思う。
打ちのめされるのも、臆病なのも、その向こう側に心が揺れている証だからだ。
弱さのなかに強さが潜む。
信じながら疑っている。
単色で塗られない感情に揺れながら立ち続ける人が、美しいなと思う。
参照元:2013年度 新聞広告クリエーティブコンテスト
最優秀賞 「めでたし、めでたし?」
しんがき佐世 公式サイトhttps://officesayou.com/