【スリランカ編 2】笑わない二人

ガイドさんの名前を聞くと、スミンと名乗った。
スミンさんは、私たちの先に立って誘導する。
次は有名な赤いモスクに案内するつもりらしい。

「スリランカは60%以上が仏教徒だけど、ヒンドゥー教徒もイスラム教徒もいる。
モスクも教会もある。寺院が多い、信仰が深い」

歩いてすぐのところに、赤いしましまのモスクがとつぜん現れた。
商店やビルに並んで、写真で見たことがある建物が、どーん!とそびえたっている。

スミンさんが説明する。
「1909年に建造された歴史ある建物だ」

ジャミ・ウル・アルファー・モスク。
通称レッド・モスク(Red Mosque)で知られる美しい建物は、写真で見るよりもずっと大きい。

こっちはモスクの裏側だから、正面はこっちの方へ、とスミンさん。

写真を撮った私とウノさんを一瞥すると、スミンさんはまた歩き出す。

歩きながら自己紹介がいつの間にか始まっている。
スミンさんが62歳なこと。
26歳の長女、21歳の次女、17歳の長男の3人の子どもがいること。
40年ガイドをしているが、クレームは一件もないこと。
一方的に話している。
人もなりも知らないけれど、ガイドの仕事をする姿勢は伝わる。

それでいて私はどこか、彼に親しみを感じられない。

「ガイドは無料だ」と言ったスミンさんから、どうにも後出しジャンケンの空気が消えないところ。

楽しんだ対価を払うのは、自然なことだしかまわない。
むしろベテランなら「無料じゃない」方が安心してお願いできるのに、なんで無料って言うかなぁ。

これはスリランカのガイドの仕事のやり方なのかなぁ。
返報性の法則スリランカ版か。

どんどん歩くスミンさんの背中を見ながら、そーゆー考えがちらつく。

交渉も笑顔もなく、ほとんど強引にガイドが始まった。
後出しジャンケンの右手が伸びてくる長さぶんの、心理的な距離を取っている私がいる。

ふと、ウノさんが足を止めた。
モスクのあるクロス・ストリートの道路沿いで、果物を売っている露店があった。
古いリアカーの上に、一種類だけ、柿のようなまるい果物が売られている。

「日本ではよく知られた果物です」

スミンさんが、ウノさんに言う。

「そうなの? 見たことないな。なんだろう?」
「マンゴスチン」
「へえ、これがマンゴスチン」

スミンさんが露店の女性と何か話して、ひとつ手に取る。
親指を差し込み、みかんのようにぱかっと果実を半分に割ると、赤い分厚い皮とまっしろな実が現れた。
それをウノさんに差し出し、試食をうながすスミンさん。
ウノさんが食べ、うん!とうなずく。

私も、白い実の部分を取り出し(房のかたちもみかんそっくり)口にする。
サッパリした食感で、甘くてコクがある。
とてもおいしい。

「おいしいですね」
「おいしいねぇ」
「これ買おうかな」
「1キロは多いから500gくらいで。船で半分こしよう」

6個で100円くらい。安い。

ウノさんがスリランカ・ルピーをスミンさんに渡し、露店の女性に支払う。
マンゴスチンが、女性からスミンさんの手に渡り、ウノさんに渡される。
「Thank you」と私たちが言うと女性は、よみ取れない表情で微動だにせず、じぃっと私たちを見た。
無愛想なのか言葉が通じていないのかわからない。

わかるのは、スミンさんがいなければ立ち寄らない雰囲気95%の露店だったこと。(わたし比)

なんか、すこし、おもしろくなってきた。

そう私が話すと、ウノさんも「うん」と穏やかに笑ってスタスタ歩いていく。

旅行会社で海外赴任歴が長いウノさんは、穏やかな話しかたと物腰の奥に、「予定調和はつまらないわな」なロックな魂をのぞかせる。

ウノさんと観光する予定は、なかった。
スミンさんに案内される意思も、なかった。

予定調和じゃない展開をおもしろがれるか。
おもしろいです。

「ここはメイン・ストリート。ジュエリーショップが多い」

目抜き通りかな。トゥクトゥクが多い。
マニラほど混雑していないのは、今日が日曜日だから?
道路がすいているせいかトゥクトゥクのスピードも速い。気をつけて通りを渡った。

ストリートの左側にはジュエリーショップが並び、反対側は両替所が多く並んでいる。
両替所の店先から煙が上がっていた。
器に盛られたココナツの皮と紙から炎が上がっている。

スミンさん「幸運を呼ぶために行います」
ココナツの皮が燃えている。
どこか日本のお盆みたいだ。

メイン・ストリートから路地を抜け、寺院が3つ連なる明るい通りへ。
地図を見ると、海の近くらしい。

スミンさんがウノさんに、道路に提げられている旗に書かれたシンハラ語の説明をしていた。
旗の上部にはフルムーン、満月のイラストが描かれている。
月にまつわる行事が行われているらしい。
旗の「192」は、儀式の数だそうだ。

寺院の前には、供花がどっさり売られている。
ちいさな白い花が長いヒモで結ばれ垂れているのを、ウノさんが顔を近づけて匂いをかぐ。
私も顔を近づけたが香りはほとんどしない。ジャスミンではないのかな。

ウノさんがスミンさんに質問した。

「これ、ハワイのレイみたいに人の首に掛けたりはしないの?」
「しません。神様にだけ」
「そうなんだ」

私が白い花の名前をたずねると、スミンさんは首をかしげた。
店の人に花の名を訊こうとする彼を、あ、いいですいいですと引っ込める私。

バケツにどっさり入っている花のつぼみ。
この名前は訊かなくてもわかった。

「ロータス」
「はい。スリランカの国花です」

無造作に入っていても美しいなぁ。

小さな売店の前で、ウノさんが足を止めた。
雑貨やお香が売られている。
ウノさんはジャスミン、私はクローブのお香を買った。
150ルピー。約70円。

「ここは結婚式場」
スミンさんが通りがかった建物を指さす。

「へー」
1ミリも口角が上がらない笑顔ゼロの案内に、つられて私の笑顔も下がり気味。

とここで、道路わきに停まっていたトゥクトゥクに近づいて中に話しかけた。
何やら話して、私たちのところへ戻ってくる。

スミンさんの説明はあまり聞き取れなかったが、これからトゥクトゥクに乗って次の寺院に行くと言う。
次に案内する寺院で朝のセレモニーが行われており、10時半までに行かないと見れないそうだ。
時計を見るとあと15分しかない。

「はい、乗って」

スミンさんが赤いトゥクトゥクを指さす。
値段交渉してない、それ以前に、目的地までの距離もわからない。

「いくらですか?」
「大丈夫です」

片手を振るスミンさんは真顔。
トゥクトゥクの運転手も真顔。

ウノさんを顔を見合わせる。うーん。

乗った。

どうです、このなし崩し感。
スミンさんのペースに乗せられっぱなし。

そんなわけで、スリランカでもトゥクトゥクに乗ることに。

ウノさんとスミンさんと私の3人で、ぎゅうぎゅうの後部座席。

高い気温と湿度で汗だくの体に、トゥクトゥクのドアなし座席を吹き抜ける風が気持ちいい。
ウノさんが水筒の水を一口飲んで、風に目を細めている。

「トゥクトゥクに乗ると思ってませんでしたね」
「ははは、そうだね」

走ること5分。
すでに名前も現在地もわからないが、寺院に到着した。
寺院の前にトゥクトゥクを停めた運転手に、スミンさんが一言声をかける。
おそらく、ここで待つように伝えたのだろう。
スミンさんは私たち2人を寺院へいざなう。

「写真を自由に撮ってかまいません」とスミンさん。

靴を脱いで中に入った。
見た目よりもずっと奥行きがあって、広さも天井の高さも立派な寺院だった。
家族づれに、カップル、若者、老人、多くの地元の人たちが参拝に訪れている。

寺院の中から音楽が聞こえる。
鳥の声も聞こえる。

セレモニーには間に合ったようだ。
楽器を持った人、火を掲げた人、手を合わせた人たちが寺院内を練り歩いていた。

ココナツオイルだろうか、火と紙幣とオイルと粉が入った銀の容器を持った男性がやってきて、何も言わず次々とオイルと粉を参拝者のおでこに乗せていった。

私にもウノさんにも。
最初の寺院でつけられたおでこのしるしの上に、さらに。

院内の奥手に進むと、ジャラララララ、と金属音が聞こえてきた。
テーブルの周りを数人の男性が取り囲み、たくさんの紙幣とコインがビニール袋やカゴに入れられていた。
計算機だろうか、量りのような機械がテーブル中央に置かれている。

「お布施を数えています」とスミンさん。

カラフルな寺院のなかをひたひたと裸足で歩いていると、スミンさんがバナナを2房ちぎって私に渡した。
どこでバナナをいつの間に。
スミンさんの口が、もぐもぐしている。

「食べていいですよ」
「ここで?」
「はい」

寺院で歩きバナナをするとは思わなかった。

小さな子どもも、老人も、若者も、静かに参拝しているのが印象的だ。
にぎやかにおしゃべりを響かせているのは、鳥しかいない。
私たち二人もほとんど会話をせず、ただその空間の静けさにのまれている。

動画を撮っている私に気づいた青年が、茶目っ気たっぷりにピースサインをくれた。

スミンさんが出会ってこのかた(といっても一時間半くらい)まったく笑わないので、知らない彼の笑顔に心がほぐれる。

寺院を出て、靴を履き、現在地を確認してみた。
海が近い。

「ツナミ・テンプルです」

スミンさんが説明する。
いま私たちが訪れている寺院を含め、海沿いの一帯が2004年の津波で流されたという。
インドネシア、スマトラ島の津波のニュースはおぼろに記憶があるが、スリランカでも同年かわからないが災害が起こっていた。知らなかった。

「当時、日本の救援隊がまっさきにスリランカへ駆けつけてくれた。
だから私たちは日本人に感謝している」

スミンさんが言う。

津波で流されたあとに再建された寺院の正面に、大きな時計がかかっていた。

寺院を出てきた私たちに、では次にいきましょう、とスミンさんは言わない。
通りをどんどん歩いていく。
どこか腹をくくった私たちがついていく。

「ここは結婚式場」
「そうなんだ」

「ここも寺院。今日は日曜学校です」
「そうなんだ」

目が合った小学生くらいの子どもたちが、寺院の中から笑顔で手を振る。かわいい。

徒歩圏内に、次々と寺院が現れる。
スリランカは寺院が多いと聞いていたけど、すごい。

そのまま歩いていると、おおぜいの人でにぎわっている一角に出た。
住宅地のエリアかな。

マイクを持った男性が何かはやしたて、周りの大人も子どもも歓声をあげている。

皆の注目の先に、
家と家の間にロープが渡されて、水瓶のような容器がぶら下がっている。
目隠しをした男性が棒を持って進み、ふりかぶって水瓶を割ろうとする。
からぶり。
見守っている人たちから残念そうな楽しそうな声が上がる。

ぶら下がった瓶には水が入っていて、割って水をかぶると縁起がいいらしい。
パン食い競争のスイカ割りみたいだ。

「地域のお祭りが行われています。
4月はスリランカのお祝いのシーズンで、今日が最終日です。お祝いしています」

今日は4月30日、日曜日。

スミンさんの表情はにこりとも動かないが、お祭りに参加している人たちは楽しそうだ。
お祭りを見ていた子どもたちと目が合うと、ニコッと笑う。

私も嬉しくなって笑い返す。
子どもに気を取られていたら、年配の女性が笑って私の腕を引いて、祭り会場の真ん中につれていった。
わわわあわあわわ。

マイクを握った司会者らしき男性が「おー!ここで珍客登場!」と声を上げた。(知らんけど)

女性に腕をぐんぐん引かれ、水瓶が下がったロープから10mほど離れた位置につれていかれてしまった。
お祭り係らしき男性が、はいこれ、と長い木材を私に握らせる。

ナイフは、人を傷つけることも果物を美しくカッティングすることもできる。
長い木材は、人を殴ることも水瓶を割って拍手喝采を浴びることもできる。
ヤスリもかけていないザラザラした木材の触り心地が、ねぇ、どうも凶器っぽい。

ここから目隠ししたまま進み、パン食い競争のスイカ割りな要領で、水瓶をたたき割るのですね。

お祭り係らしき男性が、私の背後に立って「帽子を脱いで」とジェスチャーした。
帽子を取ると、私の眉から鼻までおおう幅のデカイ目隠しのゴワゴワした硬い布が、後ろから私の視界をふさいだ。
ぎゅうっと後ろで結ばれる。
きつく締めすぎて鼻の穴つぶれてます。
男性が何か言ってるけどシンハラ語わからんです。
老若男女がほがらかに笑う午前11時の祭り会場じゃなかったなら、外国で知らない人に目隠しされるのはヤバい場面です。

視界まっくらスリランカで、木の棒を握りしめる私。
汗びっしょり背中のリュックにはMacBookAir。本日まだ出番なし。
予定調和どころか未定不調和です。

地元の人たちの歓声のなか(私は暗闇のなか)をそろそろと歩いて、棒を振り上げる。
水をかぶってびしょぬれになる覚悟は決まった。
いきおいよく振り下ろす。

「あーー↓」

それはシンハラ語でもわかる。
からぶりしました。

目隠しを取ると、私が立っている位置から3mほど先に、水瓶がぶら下がっていた。
びびって歩幅が小さくなってたのね。

注目される緊張で、笑っている人たちの顔はあまり見れなかったけれど、楽しげな空気は伝わってきた。
ああ、割りたかったなぁ。

人の輪のなかに、ウノさんとスミンさんを見つけた。

ウノさんが、笑いながら言う。

「もっと前! 前! って声かけてたんだけどね」
「ぜんぜん聞こえませんでした・・・」

スミンさんが、笑わないで言う。

「脱いだ帽子は?」

私のバッグの中に突っ込まれた帽子を見つけて、ならOKとうなずく。

トゥクトゥクの運転手は、戻ってきた私たちを無表情で待っていた。
待っててくれてありがとう、と言うと、彼はかるく頷いて運転席にさっさと乗り込んだ。
この人も笑わない・・・

すでに長い時間を過ごしたように感じる。
時計を見ると、まだ午前11時すぎだった。

乗っていたトゥクトゥクが何も言わず停まった。
なんの説明もないが、給油所だった。
トゥクトゥクの給油を初めて体験。

笑ってと二人に言ったら、笑うかな。
せっかくだから写真を撮ろう。

「Smile!」2回言って、やっと口角をすこし持ち上げてくれた。

給油完了。
トゥクトゥクに乗り込み、ふたたび出発。
どこへかわからないけど出発。

次はどこに行くのでしょう。

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