【シンガポール編】観光地じゃない国

シンガポール入港は午前10時。
窓がない部屋の窓がわりとなった船室のテレビに、船の先端に広がる風景が映し出されている。
ビル群と、港の一部と、タグボートらしき小さな船が見える。

11時すぎに乗客全員の上陸許可が下りたと船内放送が流れたとき、私はパソコンの前にいた。
まだ終わらない原稿を前に、昨日もおとといもぐーぐー寝た。
シンガポール朝8時から机に向かい、たまった画像や書きかけの文章で散らかったデスクトップを前にじたばた。
10時過ぎに、ルームキーパーの若いインドネシア人、ソフィアントが516号室をノックした。

「掃除していい?」
「ごめん、まだ出れないので2時間後でもいい?」
「OK」

このやりとり、バリに寄港したときもやったな・・・

12時に原稿と画像の準備がようやくできた。
今日の帰船リミットは夜の20時半。

地球一周の船旅は3ヶ月半。
約100日間というわりと長い期間から想像するより外国を旅している時間は少ない。
北半球ルート、南半球ルートなど、北極ルートなど航路によって異なるものの、だいたい約20カ国ほどの国をめぐるのだが、それぞれの滞在日数はほとんどが1日、多くて2日だ。
飛行機と違い、時速40キロ程度の速度でゆっくり海を渡っていく。

陸地に立つより、海で過ごす時間の方が長い。

コロナの影響(だけではないと思うけれど、相手国の事情)で中国と東ティモールへの寄港がなくなり、本来ルートになかったマニラに寄港したのは異例で、その滞在が3日間と「長い」のも異例だった。

バリ、シンガポール、ギリシャ、イタリア、スペイン、フランス、ジャマイカなど、多くの寄港地が1日のみの滞在だ。
滞在が2日間なのは、エジプト、イギリス、アイスランド、パナマ、グアテマラなど。
これもルートによって異なるけれど、だいたいが1~2日。

例えばシンガポール。
4月25日 10:00入港、23:00出港。
国によるが、出港のおおよそ2時間から2時間半くらい前までに、船に戻っていなければならない。
1400人もの人がいっせいに移動するので、セキュリティチェックの混雑や出国手続きなど時間のバッファを取るためだ。
シンガポールの帰船リミットは午後8時半。
前後の入国手続きや出国手続き、行列に並ぶ時間を引くと「現地にいる時間」はさらに減る。

ってぇのは承知で参加したのに、原稿書いたり原稿送ったりその時間をさらに縮めっちまう私です。

ゆったりしてそうに見えて、一つの国の食や文化や風習を味わうには、時間が物足りないのが船旅の特徴だ。
それでも船旅は人気で、多くの人が次の、さらには次の次のクルーズを予約しているという。
3年先まで予約している人もいた。

飛行機の旅と、船の旅。
それぞれにいいところ不便なところがあって、これはすきずきだろう。
高齢の方の参加者が予想以上に多い(船内は日本の少子高齢化がもっと進んだみたいな年齢分布)のも、「荷物の移動がなくて楽だから」「飛行機は疲れるから」と先日お話しした80代夫妻が言っていた理由もあるようだ。

もちろん、消極的な理由だけではない。
船旅が好きな人は、寝たり食べたりと生活する間に次の国へ向かう独特の日常と、海の上で生活する非日常のどちらも一度に味わえるからかもしれない。

12時にやっと送る原稿の準備ができて、デッキに出た。

シンガポールの空気は蒸し暑くて、雲があるけれど晴れている。

上陸許可が下りた放送から、すでに1時間が経過していた。
かえってスムーズに入国できるかもと港の入国検査場へ向かうと、行列ができていた。

今回の船旅はマニラ、バリ、シンガポールから、多くの外国人が乗り合いバスのように同じ船に乗り込み参加すると聞いている。
中国、韓国、台湾、シンガポール、アメリカなど多国籍な人が乗ってくるので船内には英語や中国語や韓国語が聞こえる。
入国検査場もいろんな言語が飛び交っていた。

40分ほどかけて入国検査を通過。
前に並んでいる男の子の名前はジョー。
韓国ソウルから通訳スタッフとして参加したそうだ。
日本語と英語をすらすら話す、利発そうな大学生だった。
けっこう並んでますねえと話しながら自己紹介しあう。
シンガポールでどこに行くのか聞いたら「何も調べてないので、どうしようかな」と笑っていた。

「サヨさんは?」
「あちこち散歩しようかな」
「いいですね」
「ではまた、船でね!」

手を振ってターミナルで別れた。

散歩の前に、Wi-Fiです。

シンガポールのターミナルでスタッフから配られたのは、現地の詳細な地図だった。

カラー印刷!
地下鉄の路線もストリートの名前も! わかりやすい!
さすがシンガポール!
寄港地3つ目にして、船旅で初めて手にしたカラーの詳細な地図に感動する。

観光地で、無料の地図が手に入ること、観光案内所があること。
日本で当たり前に受けていた恩恵が実は、至れり尽くせりだったとこんなことでも知らされる。

出航して3週間、不便が当たり前な日常のおかげで、小さなことで喜べるおトクな身体になってきた。

入国検査場から少し歩き、ターミナルに隣接されたショッピングセンター内に入る。

両替所で20ドルをシンガポールドルに換えてもらう。
レートは1ドル、1.315。
受け取った26.30シンガポールドルを財布に入れる。

シンガポールの港には大きめのショッピングセンターがあり、カフェや土産物店で賑わっていた。
適当に歩くのもいいけど、誰かにWi-Fiできる場所を尋ねてみよう。

両替所のすぐ近くに、バナナケーキ屋さんがあった。
明るい黄色のこじんまりしたお店。
小ぶりの美味しそうなマフィンやバナナケーキが並んでいた。

レジで、小柄な女の子がノートに書きつけている。学生だろうか。
客が来るとノートをしまって接客し、誰もいなくなるとまたノートを広げている。

ノートを遠目に見たら、ひらがなとカタカナがマス目に沿ってきれいに並んでいた。

「こんにちは。あの、近くでWi-Fiができるカフェを知りませんか?」

Wi-Fiクエスト3ヵ国目、知らない人に尋ねるのもちょっと慣れてきた。

「仕事で使うファイルをいくつか送りたいんです。
今、船で旅行中なんですが、船ではネットが使えなくて困ってて」

女の子は広げたノートから顔を上げて、ニコッと笑った。

「近くにスターバックスがあります。
前にそこでフリーのWi-Fiが使えたから大丈夫だと思います」
「ありがとう。行ってみます」

スタバへの行き方を教えてもらう。
同じショッピングセンター内、しかも近くにあるみたいだ。

「日本語を学んでるんですか?」

ノートに見ながら私が訊くと、彼女はうなずいた。

「はい。韓国語より難しいですね」

写真を数枚撮ってもいいかと訊くと、きれいじゃないけど、とはにかんだ表情でノートを見せてくれた。
ていねいな筆跡。

名前を聞くと、私が手にしたスマホのメモに「Jan」と直接、彼女が打ち込んだ。

「一月生まれで、ジャンです。JanuaryのJan」

続いて何桁かの数字を入力して、私にスマホを返した。

「もし電話番号が必要なときは、私の番号を使っていいですよ」
「え」
「この間、スタバでWi-Fi使ったときは何も入力しないで使えたけど、念のために」

Janが言う。

スターバックスに行ってみますね。ありがとう。

バナナケーキ屋さんから歩いて2分、スターバックスを発見した。
テーブル席に着く前に、Wi-Fiがつながるかを確認してみる。

スターバックス無料Wi-Fiのトップページ表示のあと、シンガポールの電話番号の入力欄が出てきた。
「+65 Phone number」

マニラの記憶がよみがえる。
マニラの国番号は「+63」だった。
シンガポールは「+65」なのね。

どきどきしながら、スマホに彼女が入力してくれた電話番号を入れる。接続。
Wi-Fiがつながった。

Janさん、私のマニラWi-Fiクエスト珍道中を知っているのか。
先回り力がすごい。
スタバの店先に立ったまま「Jan、ありがとう」と口をついて出た。

スタバで飲み物とスコーンを買い、席に着き直して作業開始。

画像をアップしたり、シンガポールの地図をダウンロードしながら、ふと、仕事が終わったらJanに何か買って差し入れしよう、と思いつく。

何がいいかな。
何が好きかな。
そう思いながらパソコンとにらめっこしはじめて15分、ふと顔をあげると、Janが小走りにやってくるのが見えた。
私を見つけて「いた!」と笑った。

「つながった?」
「つながった!」
「よかった」

私の座るテーブルに近寄って、小さなふせんを私に渡した。

恐竜のイラスト。

「Could you send me the photos? ^ v ^
If you ever need help in Singapore or want to recommend a place in Japan, just email me or add me on LINE.
I look forward to it!」

(さっき一緒に撮った写真をメールで送ってくれませんか?
もしシンガポールで助けが必要だったり、日本でおすすめの場所があったら連絡してね。
LINEでもいいよ。楽しみにしてます)

なんでこんなに親切なのですか。

ふせんから顔を上げて「何てお礼を言ったらいいか」を顔に書いた私が口をぱくぱくしていると、
「いいからいいから用事を続けて」とJanが手で制し、パッとUターンして店に駆け足で戻っていく。

Janの背中に声をかけた。

「Jan、仕事は何時に終わる?」
「4時」
「わかった!」

あと2時間ある。
それまでに仕事を終わらせて、差し入れを買って彼女に渡そう。

帰船リミット午後8時半の手前に、Janの仕事リミット4時が加わった。

シンガポールは聞いていた通り、治安がよい。
カフェのテーブルに身の回り品を置いたままでも、それほど心配いらないようだ。
隣のテーブルに座った客が、2、3人とリュックやバッグを置いたまま席を立ち、しばらくすると戻ってくる。

私も仕事の途中、貴重品以外のノートやファイルを置いたまま、席を離れてトイレに行ってみた。
(ためらったけれど、さすがにMacはバッグにしまって持ち歩いた)

トイレから戻るとき、外から雨の音が聞こえる。
トイレ横の出入り口からショッピングセンターの外に出てみると、激しいスコールが降っていた。
ショッピングセンター内で雨宿りしている人たちが、空を見上げている。

セントーサ島をつなぐロープウェーも、ビル群も、トラックもざあざあ降り。
どこにも行かず(行けず)スタバで作業する自分を「ほら、今のうちにやんなさい」と励まされている気がした。

テーブルに戻ると、何も起きていなかった。
広げたノートもファイルもそのまま。
隣の客は、さっきと同じようにパソコンを開いて誰かと話している。
別の客がまた席を立って、どこかに行った。
リュックを置いたまま。
日本にいるときと空気感が似ている。

締め切り効果はすごい。
作業に手間取りながらも、なんとか今日のやることを終えられた。
時間は16時ちょっと前。

いそいで荷物をまとめてスタバを出て、バナナケーキ屋さんへ戻った。
彼女は1人で店にいた。
私を見つけて小さく手を振っている。

「おかげで仕事ができました」
「よかった」
「電話番号が必要だと、どうしてわかったの?」
「うーん、なんとなく」

すごいな。

ここまできたら、礼儀正しくアンド厚かましくいこう。
彼女を誘うことにした。

「Jan、仕事の後は予定ありますか? もしよかったら一緒に出かけませんか」
「家に帰るだけだから、空いてますよ。一緒に観光しましょう」
「ありがとう!」
「次のシフトの子が遅れてるみたいだから、ちょっと待ってもらっていい?」

Janはゆったりした仕草で帰りじたくを始めた。

「旅行はいつまで?」
「シンガポールは今日まで。1日だけ」

旅程表をリュックから引っ張り出した。
世界地図にてんてんてん、と、各地の港と港をネックレスのように波線がつないだ108日間の旅程一覧を見せた。
それからシンガポールを指差し、てんてん線をなぞって、次はスリランカ、と指をすべらせる。

「すごいね」

旅行の話に、Janも興味津々の目になった。
Janも海外旅行が好きらしい。

「私も今年の11月ごろに日本に行くよ」
「どこへ?」
「滋賀、京都、大阪かな」
「滋賀? 友だちか知り合いがいるの?」
「ううん。誰もいない」
「そうなんだ」
「大きな湖があるでしょう、滋賀に。シンガポールは大きな湖がないから一度見てみたいの」
「琵琶湖?」
「そう。琵琶湖」

シンガポール港に8時半までに戻ってこないといけないと伝えると、大丈夫、それまでにあちこち案内するよ、とJan。
そうだ、ここはまだ港だった。

「どこに行きたい?」と彼女が訊く。
「リトル・インディアとアラブ・ストリートかな」

ぶっちゃけ、どこでもいいんです。
観光地より、そこで暮らす人と話せて同じ空気が吸えたら。

「リトル・インディアはここからどれくらい?」
「そんなに離れていないと思う。実は、リトル・インディアに行ったことないの」
「そうなの?」
「うん。旅行者には人気の場所だよね。私には縁がないなぁ」

そういう場所、あるよね。
私も福岡で行ったことない場所はいくつもある。
遠方から来た人が行きたがる場所と、地元に暮らす人が足を向ける場所が同じとは限らない。

互いの旅行話をしていると、次のシフトの子がやってきた。
彼女に挨拶をしたJanは、レジの下の棚から赤いリュックを取り出す。
それから私が広げたカラーの地図を指差して、彼女が言った。

「ハーバー・フロント駅からMRT(地下鉄)で、リトル・インディア駅にまず行こう」

ターミナルのショッピングセンターを出ると、雨は上がっていた。

白いTシャツに、ジーンズ、リュックサック、スニーカー。
赤いリュックを背負った彼女はますます学生に見える。
レジで日本語の書き取りノートを広げる姿も、よく似合う。

「大学生?」
「よく言われる。社会人だよ。26歳」
「26歳!」

地下鉄のチケットを買い、ハーバー・フロント駅からMRTに乗る。

2012年に来て以来のシンガポールは、前と変わらずどこも清潔で整然としている。

リトル・インディア駅には15分ほどで着いた。

「ここ、初めて降りる駅だ」

と、Janが言う。

「私は3度目かな」

と、私が数える。

おもしろいね。

駅から地上に出て、あたりを見回す。
港とはがらりと空気が変わった。
アーケードに沿って店が立ち並んでいる。

スパイスの香り、インド音楽、お供え用の花に果物、貴金属の店、フィッシュカレーのレストラン。

特に行き先も決めず、地図も見ないでぶらぶら散歩してみた。
目的地はあってないようなもの。

しばらく歩いて、ここ、どこかわかる?と私がきくと、わからない、とJan。
一緒に観光だね、と笑いあう。

「私は中華系だからチャイナタウンはよく行くけど、インドのエリアは行く用事がないなぁ」
「そうなんだね」
「中国語はほとんど話せないんだけどね」

リトル・インディアをそぞろ歩いて、いつの間にかアラブ・ストリートの方へ向かっていた。

「Janは、アラブ・ストリートに行ったことある?」
「前の仕事でね。何回かあるよ」
「なんの仕事?」
「SNSの広報。上司がインフルエンサーで、私は写真を撮る仕事をしてた。
インフルエンサーって宣伝に使えそうな写真がたくさん要るでしょう。
でも、上司と合わなくて5ヶ月で辞めちゃった」

化粧っけがほとんどなくてシンプルな装いのJanに、インフルエンサーの華やかさや最新の流行を追い続ける仕事は、確かにすこしちぐはぐな気がした。
リュックの前ポケットで、パンダのマスコットが揺れている。
「むかし家族で中国に旅行したときに買ったの」
Janが笑う。

Janと一緒に「こっち行ってみようか?」と歩いていると、地図をほとんど広げて立ち止まることはなかった。
ストリートの向こうにモスクが見える。
あの建物の名前なんだっけ。前に見たことあるような。まあいいや。

歩きながらずっと話しているのだ。

Janの家族の話。
日本に2度行ったことがある話。
初めての日本は父親とふたり、東京に行って、東大に行きたいなら行っていいよ、と言われた話。

いつか、冬の城崎温泉に行きたい話。(城崎温泉ってどこ? ここ、と地図を見せるJan)
バナナケーキ屋さんと事務の仕事、二つの仕事をかけもちして働いていること。

「働き者なんだね」と言うと、
「秋の日本行きの旅費稼ぎたいからね」とJan。
広報やセールス、事務、溶接機械を売る仕事、カウンセラーの仕事。
今までいろんな仕事を経験している。

「大学ではマスマーケティングを専攻したんだけど、仕事にしたら「これ私は苦手だ!」って気づいたよ」
Janはよく笑う。

「顔がわからない多くに届けるデータ優先の仕事より、小さなコミュニティの。
一対一で心を通わせる仕事が好き。
だからカウンセラーの勉強もしたんだけど、シンガポールでは給料低いんだよね。
金融や数字を扱うマーケティングの方が、ずっと給料がいいの」

少し前を歩く彼女の、リュックのパンダが揺れている。

「でもねー、人と人と向き合う方が好きなんだよね」

日本や中国のアニメが好きで、ゲームが好き。
カービィが好きなこと。
ポケモンが好きなこと。
カービィのキャラクターでいっぱいの、特設カフェにいつか行きたいこと。

「カービィカフェ、って知ってる?」

Janが開いたスマホのサイトには、日本のカービィカフェの紹介サイトが英語で表示されていた。
福岡市の中洲にあるキャナルシティ内にある、そこは私も知っている。

「このカフェ、私の家からバスで30分のところだよ」
「いいなぁ!」
「福岡にもおいでよ。案内するよ。一緒に行こう」
「行きたい」

ローチャー・ロードを抜け、アラブ・ストリートからしばらく歩いていると、観光客が増えてきた。

「このあたりは、壁のペインティングが派手で有名なところ。
観光客に人気の『映えスポット』だよ」
「よく知ってるね」
「仕事でこのあたりの写真撮ってたからねー。上司が嫌いで辞めたけど!」
「インスタグラマーの上司?」
「うん。流行りものが好きで、私とはあんまり話が合わなかった」

観光客でにぎわう派手な通りに入った。
立ち止まっては色とりどりの店や壁のペインティングの写真を撮っている人も多い。

「佐世ちゃん?」

同じ通りを歩いていたらしい、20代の船仲間たち数人のうちの1人が、私に気づいて声をかけた。
船で親しくなった北海道出身のCは、飛び抜けてきめの細かな白い肌をした、医療従事者の女性だ。
仕事を辞めて船に乗った。

Cは、Janと目が合って軽く会釈する。
JanもCに頭を軽く下げる。
そうか、年は2人の方が近い。

「こちらは?」
「Jan。さっき知り合った人」
「佐世ちゃん、すーぐ仲良くなるんだから」

JanにCを紹介する。

「こちらはC、北海道出身」
「はじめまして。北海道は前に行ったことあるよ」
「どこ?」
「サッポロ」
「私、札幌だよ!」

LINE交換。

「次に札幌に来るとき連絡してね!」
「うん」

社交辞令でも、本当に叶っても、どちらでも、こういう場面で選びたい明るい会話がある。

日本だろうが外国だろうが同じ。
本当に会おうと思えば、メッセージを投げればLINEのトークが上位に上がる。
会おうと思わなければ、船の航跡みたいに後ろに流れていくだけだ。

「二人の写真撮りましょうか? すぐに渡せるよ」

Cと一緒にいた、介護福祉士を辞めて船に乗ったという20代の女の子が、手にしたポラロイドカメラで私とJanの写真を撮ってくれた。
ありがとう。
手元の小さな印刷機にBluetoothでつないで即座にプリントし、4cm×5cmほどの小さなぶあつい現像紙を一枚をJamに渡した。
真っ白な紙に私とJanの姿が浮かび上がってきて、Janがおお!と目を丸くした。

「ジャパン・テクロノジーだ」
「すごいね」
「こういう時のために、買ったの」

介護福祉士だった彼女が得意げに笑うのがかわいい。
仕事を辞める前もきっと、人を喜ばせるのが好きだったのだろうな。

「じゃあまた、船でねー」

手を振って20代の5人組と別れる。

時間は午後6時を回っていた。

「お腹すいたね。夜ごはん食べよう」
「連れていきたいお店があるよ」
「いいね」
「食べて港に地下鉄で戻ったら、ちょうどいい時間だと思う」
「そうだね」

ノースブリッジ・ロードを歩いて、ブギス駅の前を通り過ぎる。

「このビルは通称『バットマン・ビル』上から見たらバットマンのマークだよ」

「あれはブギスプラスビル。カラフルな外観で、よく待ち合わせに使われるところ」

歩く道すがら、通りの植え込みに50cmはありそうな南国の植物が植えられていた。
つやつやした、フキに似た大きな葉を私がなでると、

「それはエレファント・リーフ。葉っぱが象の耳みたいに大きいでしょ」

とJanが説明した。
視界に入るいろんな建物を、いろいろなシンガポールを、教えてくれるJan。

「この青いパイプ、私が子どもの頃ね、おじいちゃんと車で通りがかったときは、黄色だったの」

パイプ?

Janの目線の先には、観光客向けのモニュメントではなさそうな妙に大きなパイプが、地面から生えていた。
私たちの身長の3倍、それよりも大きくて太いパイプが、3本並んでいる。
パイプは空に向かって伸びていて、先端がカオナシの首のように曲げられている。
バス停と商業ビルの間に、いきなりある。
まるで潜水艇が海面から突き出した大きな望遠鏡にも、逆さに刺さった巨大な蛇口のようにも見える。
海底から体を生やした巨大なチンアナゴにも見える。なんだこれは。

「パイプ・・・」

特に感想もなく、くり返す私に、Janが続けた。

「今はブルーに塗り直されてるね」
「うん。ブルーだね」
「なぜ色が塗り替えられたのかは、わかんない」
「・・・そう」

そのままスタスタと歩いていくJan。

それ以上の説明があるかと思ったら、なかった。
オチもなく、インスタ映えもなく、パイプの色が変わった理由も知らない。用途も知らない。

そうか。
誰かの観光地は、誰かの暮らしなんだ。

ここで暮らす人たちが日々を営むのに、知らないことをすべて知る必要もない。
なんとなくそこにあるものと一緒に、生活者が大きくなったり老いていく土地なんだ。

シンガポールが観光地でなくなった瞬間だった。

「Jan」

声をかけた私に、Janが振り返った。私は言った。

「もし観光ガイドさんに案内を頼んでも、さっきのトリビアはきっと教えてもらえないと思う」
「さっき? 何のこと?」
「ビルの前にある巨大なパイプの色が、むかしは黄色で、今はブルーに塗り替えられたこと。
理由はわかんないこと。でも、かつてそうだったこと」

一瞬のまのあと、あははは、とJanが笑った。

「確かに、案内しないと思う」

ガイドブックにはおそらく載らない情報。
Janのおじいちゃんの運転で通りがかったむかしの光景が、今日に重なって、思わず彼女の口をついたこと。
彼女が子どもだった頃に、おじいちゃんと一緒に過ごした記憶のはし切れ。

再びローチャー・ロードを通って、商業ビルに着いた。

「ここは、シムリム・スクエア。地元の人がよく来るの。
前にここで食べたお店がおいしかったから、そこで食べよう」

エスカレーターを上って小さなレストランへ。
「好味小厨 TASTE GOOD」と看板にある。
お客さんが次々と列をつくって、確かにおいしそう。

「Jan、今日のお礼におごらせてね」
「いいの?」
「うん。楽しかった」
「ありがとう」

メニューのいちばん上にある、ライスに甘辛く揚げた鶏肉と目玉焼きがのっているメニューを2つ注文する。
6.5ドル、ふたつで13ドル。

イートインスペースのテーブルに荷物を置いたJanが

「シンガポールは荷物置いたままでも大丈夫だよ。治安がいいから」

と、自分のリュックを置いて、再びレジ待ちの行列に並んだ。

戻ってきたJanの手には白いドリンクがあった。

「飲み物は私におごらせてね」
「ありがとう。Janの分は?」
「私は水筒があるから」

Janがリュックから水を取り出した。

買ってきた飲み物の名前を聞くと「Iced Barley」と教えてくれる。

「味はね・・・表現できない。なんとも言えない、面白い味」

まあ飲んでみて、と、ふっふっふと不敵に笑うJan。

一口飲んでみる。
うす甘い、草、植物・・・のような。
だけど、何味かわからない。飲んだことのない味。

メニュー表には「大麦冰」とあった。

「せっかくなら、めずらしい飲み物を試してほしいと思って」

とJanは言い、変な顔をして飲む私を楽しそうに眺めていた。

汗をかいた身体に、うす甘い冷たいジュースが染みていった。
ごはんもおいしかった。

おいしいね、と言い合ってそれぞれの料理を平らげた。
大麦冰も飲み干した。
甘い飲み物はホッとするなぁ。

「そろそろ行こうか」

ローチャー駅から、リトルインディア駅へ。

パンダを揺らし地下鉄を乗り換え、リトルインディア駅からハーバー・フロント駅へ。

「帰り遅くなったけど、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「家族が家で待ってるよね」
「うん。今日はこんな予想外の日になると思ってなかったよ」

私もだよ。

ハーバー・フロント駅まで戻ってきた。

彼女が今日の4時まで働いていたバナナケーキ屋さんが遠くに見える。
店を迂回して遠回りするJan。

「バイトの子に「なんでまだいるの?」って聞かれたらめんどくさいもん」

そう言って笑った。

港でJanが案内してくれた店のいくつかは、すでに店じまいしていた。

「今日は港がおおにぎわいだったから売り切れたのかもね」
「何を買いたいの?」
「さっき写真をくれたあなたの友だちに、お礼にお菓子を買おうと思って。
私が子どもの頃からよく食べてる焼き菓子があるの。
素朴でおいしい。
日持ちもするから1週間くらいはもつし、船でみんなで食べたらいいよ」

港のショップは、観光客向けの価格でどれも高い。
やっと見つけた店に並んだ焼き菓子を手に、
「地元のスーパーだと、もっと安く買えるんだけどね」
とJanが言う。

今年の11月に日本に旅行するために、ダブルワークをしているのだった。
いつか日本に長期滞在して、パンを焼く技術を学びたいからとお金も貯めている。

数ドルで、彼女が子どもだった頃の甘い記憶をシェアできるなら安いものだ。
マニラで学んだこと、バリで教わったこと、こうやってつないでいく。

「昔からなじみのお菓子を教えてくれただけで、じゅうぶんだよ」

教えてもらったお菓子を買って、エスカレーターでターミナルの2階へ上がる。

入国するときに少し話した、韓国人の大学生ジョーが出国検査の行列から私を見つけて「サヨさーん!」と大きく手を振った。

港の出国検査場の手前で、Janと握手した。

「11月ごろ、旅行の計画がまた決まったら連絡するね」
「うん。大阪か滋賀か京都か、どこかで会いたいね」
「福岡のカービィカフェもね」
「うん」

LINEはとっくに交換した。
彼女がくれた黄色いふせんには、電話番号もメールアドレスも書かれている。

社交辞令かそうでないかは、今はたぶんお互いわからない。
約束と呼べないほどの、ゆるやかなやりとり。

会えても会えなくてもいい、会えたらうれしい気持ちは本当だ。

23時出港予定だったシンガポール港を船が離れたのは、夜中の2時過ぎだった。

離れていく街の明かりを、船室のテレビ画面から見届けて眠った。

Janが撮った写真が、LINEに届いていた。

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