【洋上日記】2023年6月13日 船旅68日目 優劣を決めて小さく傷つけるのは誰

気温 10℃ 海水温 9 ℃
横浜から18639マイル 
日の出 3:49
日の入 23:27 

外の霧がすごい。視界がほぼゼロ。
プールのある12階デッキに出ると、霧が煙のようにうずを巻いている。
船は定期的に、衝突を避けるための警戒汽笛をボーーーー!っと鳴らしながら航行している。

昨日、アイスランドのスカイラグーンでふかふかになった心身が残っている。

露天風呂っていいなぁ。
サウナって気持ちいいなぁ。
ずっとシャワーだったし。
いろんなことが次々と起こって、凝っていた体がゆるんだ。

「Sayo~」

14階でお昼を一人で食べていると、マリアがニコニコやってきた。

「さっきあなたを見かけて、話したくて」

食事のプレートを持ってきて、私の向かいの席に座った。
あなたに会えてうれしい、とキュートに笑う。

「先生」の顔ではない、「いちマリア」のくつろいだ笑顔に、彼女の「いち生徒」ではない私も、くつろぎを意識する。
条件反射ででてくる「外国人の先生と話す私」モードを、意識して、解除する。

大丈夫。私たちは友人だ。
勝手に優劣を決めて自分を小さく傷つけていたのは私。

2003年にオーストラリア パースの語学学校に通っていた頃、私はちょう不真面目な生徒だった。
英語が話せるようになりたくて海外に行く。
それは本当だったが、高まった熱は時間とともにしゅるしゅる下がっていった。
現地で英語の勉強はほとんどしなかった。

日本で仕事を辞めるかっこうの、かっこいい理由「海外に行きます」を自分に与えるためにオーストラリアを利用した。

海外でしばらく暮らせる。
人生の責任を取りたくない。
猶予期間。モラトリアム。一回休み。

そんな消極的な理由を隠して語学留学をダシにして、4ヶ月で12キロ太った。

その場しのぎの授業を受け、安いチャイニーズのフードコートで安いランチを食べて眠くなり、おざなりに宿題を済ませ、目的を持って勉強するクラスメイトに焦りを感じ、ごまかすようにパン食べてチョコ食べてまた眠くなって、寝る。
そりゃ太る。
目的をなくして過ごしていた。

日本人とつるみ、クラスメイトの韓国人とつるむ。
英語が苦手なもの同士が話すカタコトの英会話は、上達の余地が少ない。

英語を話せる環境と時間をムダ遣い。
帰国後に受けたTOEICのスコアは550点だった。
語学留学する前と大差ない。

パースの語学学校で熱心に教えてくれる先生たちに、気後れしていた記憶が、ピースボート洋上語学学校の先生たちに重なる。
ぺぺ、マリア、ブライアン、タニカ。

「積極的に話さない私はダメだな」
「予習復習コツコツやらない私はダメだな」
「ダメな生徒でごめんなさい」

とジャッジした状態で先生たちと向き合っていた。
自分にいつもダメ出ししていると、目線が下がっていく。

相手を尊敬して上に見ることと、自分を蔑んで下に置くことを、ワンセットでやっていた。
自らその場所を下がらなくていい。
そのままでいい。
できることも、できないことも、今日の点でしかない。
「自分はできない」と固定化しなくていい。

「全然できない」と、0か100、白か黒ではなく。
「少しずつ、できつつある」と。

自分を、成長のグラデーションのなかにおく。
白と黒のあいだに、濃淡さまざま豊かな彩りがある。

成長曲線は、飛行機雲みたいにまっすぐ伸びていない。
ぐにゃぐにゃ上がったり下がったりしながら少しずつ、上っていく。



マリアが、「自分自身との対話」について最近考えていることを話している。

彼女も、ぺぺとよく似ている。

「母国スペインは好きだけど私は旅をしたい。外の世界を知りたいの」

ぺぺも
「故郷は好きだけど、ずっと同じ場所にいると息苦しくなる」
と言っていた。

これからどうしたいか、どうするか、私は何を希んでいるのか。

心理の話、これからの人生の話。
マリアはずっと考え続けているのだろう。
堰を切ったようにずーっと話している。

マリアが話したがっているテーマが、私もとても好きだ。
内面的なこと、思考と行動の話。
私も伝えたいことがたくさんある。
マリアの会話の意図を汲み取って、気持ちを理解して、その上で伝えたい私の考えをまとめる。
まとまらないままでも、話してみる。

興に乗ってきたらしい。
マリアの会話スピードが、どんどん速くなっていく。
目の光が強くなっていく。

ああああ。
必死に理解しようと耳をすまし、表情を見て、脳みそをフル回転させ、箸が止まる。
話しながら、英語をひねりだす。
思い出したように箸を動かし、食べ物をかんで砕いてごくり飲みくだす。
のどに詰まらせないよう、水をちょいちょい飲む。
もう味がわからん。

ランチはすっかり冷めている。
こんなにお皿に盛らなきゃよかった。取りすぎた。

マリアは私が食べ終わるまで席を離れないみたいだ。
食欲はとうに消えているけど、自分で取り分けた食べ物を残したくもない。

こう捉え直す。

いま私は、時間をかけながら、少しずつ「英語以上のなにか」を身につけていっている。
そのさなかにある。

いつか今日を振り返って、英語で話すのに集中してお昼を食べ終わるのに2時間かかったなー、と懐かしく思い出す、と。

「表面的な話もいいけど、深い話がしたかったの」

洋服の話や、天気の話。
昨日はどこに行ったの?
何か買った?
今日は飲みにいくの?

そういう話も楽しいけど、もっと内面的な、マインドの話がしたかった、とマリア。

「だから今日の会話はすごくよかった。とてもいい時間だった」

から揚げを食べ終えたマリアが、にっこり笑った。

私もようやく食べ終えて、水を飲んで、「私もすごくよかった」と言った。

お昼のあと原稿書きに行くのをやめて、部屋に戻って水をたてつづけに2杯飲む。
ベッドに突っ伏す。
いい時間だった。

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