【洋上日記】2023年6月27日 船旅82日目 アリの目、鳥の目、神の視座

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横浜から23843マイル


4時半に目が覚める。

(起きて)

睡眠は3時間ちょい、で、もう眠れる気がしない。

(起きて)

細胞がノックする声を無視して、枕元の『アルケミスト』に手を伸ばして読み始める。

けれど、同じページをさらうばかりで目が進まない。あー。
本を閉じてベッドに置いた。

閉じる直前に目に飛び込んだ文章は
「自分の運命から逃げてはいけないよ」

ですよねー。わかります。
くそう。くっそ。

お酒を飲んでないのに二日酔いのような頭痛、下半身がだるく重く、首と背中がガチガチにこわばっている。
定期的なホルモンの満ち引き。
ここ数年はとくにひどい。
アンバランスというバランスを取る下腹部の痛み。
メンタルのジェットコースター、誰にも関係ないこと。
孤独感が地味にこたえる。

アリの目、鳥の目、神の視座。

目先の出来事にふりまわされて苦しいときは、上空から自分自身を見下ろす視点をイメージする。

見下ろすといっても「ささいなことだ」と自分を見くだす眼差しではない。
すべていつか終わると知っている、俯瞰する神の視座。
鳥の目。

やれ石だ、水たまりだと目の前の障害物にぶつかるアリの私を、見下ろしている。

朝6時半すぎにルームサービスのノックの音がした。
ありがとう。
インドネシアの男性クルーが笑顔で運んできてくれるプレートを、ドアを開けて受け取る。
ポットに入ったコーヒーと、温かい牛乳、クロワッサン、イチゴジャム。
温かい牛乳を飲むと、ほっとする。お腹をなでる。

ルームサービスは、早朝6時から11時近くまで、30分きざみで提供時間を選べる。
最初の頃は8時半の遅めに設定していたけれど、起きたがる内側の私に時間割を合わせて、最近は早めに届けてもらっている。
着替えて外にでることなく、寝起きの格好のままコーヒーが飲めるのがありがたい。

朝食を食べて、着替えとメイクをして、今日の船内新聞と水筒と資料を持って部屋の外に出る。
「自分の運命から逃げてはいけないよ」
繰り返し読む本の一節が、静かに私の背すじを伸ばす。
「運命」などと大きな言葉は、日々にはそぐわないような気がするけれど、違う。
日々が運命だ。

早朝の人通りが少ない階段を下りて、6階のイベントルームに向かう。いつもの場所。

朝7時から一時間、書く瞑想ワークショップを開催した。
今日は初めて朝と夜の2回、自主企画を開催する。
長い一日が始まる。

「朝の時間帯に開催してほしい」とリクエストを数人から受けたのが、きっかけだった。

ほんとうは8時や、9時ごろの参加しやすい朝の枠がよかったが、中文スピーカー向けの日本語講座や、他の乗客の自主企画の枠と丸かぶりで、午前中は7時台しか空きがなかった。

3名の参加。
リピーターの方が2名、初参加の方が1名。
朝っぱらからありがとうございます。

「ぜんぜん、わかりません!」

初参加の80代後半くらいの男性が、書く瞑想のやりかたについて説明を終えた私に向かって大声で言った。

「わたしは耳が遠いからね、大きな声で、言ってくれないと!」

彼のテーブルに近づき、しゃがみ、発音を区切りながら説明する。
うなずいたのを確認して、訊いてみた。

「やりかた、わかりましたか?」
「なんでも書いていいと言われても、わからないよ」
「では、『なんでも書いていいと言われてもわからない』と、そのままの気持ちを書いてみてください」
「ふうん」

男性は腕組みをして、黙り込んだ。
リピーター参加のBさんが、目で(かまわず進めてください)と私に合図を送った。

私は立ち上がってホワイトボード前に戻る。
「では、楽な姿勢で目を閉じてください」
いつもの瞑想のステップを踏み、参加者がそれぞれペンを走らせる。

さっきの男性は20分もしないうちにペンを置き、スマホを取り出し、操作をし始めた。
残り2名の参加者は、最後までペンを動かし続けた。

無料で講座を開くと、いろんな人がやってくる。
いろんな人生や価値観を生きてきた、年齢も、興味関心も異なる人たち。
毎日の食事も、多岐にわたる講座やイベントもすべてタダの(船代に含まれる)享受できて当たり前の環境では、自然なことだ。

目の前でスマホを見ている彼の存在が、私に何を教えているのだろう。
彼の参加が、どんな気づきを私に促しているんだろう。

私が提供するのは、水や空気みたいにすべての人に必要なものではない、ということ。

あー、そのとおりだ。

おそらく、この人が次に来ることはないだろう。

「時間になりました。キリのいいところでペンを置いてください」

必要な人に向けて、行動しつづければいい。



ワークショップを終えて荷物を部屋に置き、14階のレストランに行った。
いつもの席で朝食を食べていたけいちゃんに『神との対話』の本を返す。
次に貸したい人がいるとのことで、半分も読んでいないが返すことに。
私の優先順位が渋滞していたので、ちょうどよかった。
半分だけど読めてよかった。前から気になっていた本だったから。
けいちゃん、ありがとう。

朝からメイクも服も決まっているけいちゃんが、本を受け取りながら笑顔で訊く。

「さよちゃんから借りてる本、もうちょっと借りててもいい?」
「いいですよ」

けいちゃんに手を振って、部屋に帰ろうとすると近くのテーブルの女性二人組に声をかけられた。
OJさんだ。

「昨日の書く瞑想ワークショップ、よかったぁ。ほんと感動した」
「よかった。ありがとうございます」

OJさんの隣の女性が、私を見て言った。

「私も参加したいんだけど、夜遅いでしょう。
着替えて寝る態勢なのよ、あの時間は。
朝とか、昼間にやってくれたら参加できるのに、どうして遅いの?」

「よく参加してくれる語学学校の先生たちから、仕事終わりの夜9時以降がいいとリクエスト受けたんです」
「だからか! 謎が解けた。どうしてあんなに遅いんだろうって」
「そうですよね。なので今日は、ためしに朝と夜の2回開催します」
「え、今朝? あったの? えー、気づかなかった」

女性が船内新聞を広げながら言った。

「船内新聞のイベント、たくさんあって見つけにくいですよね」
「そうそう。最近ほんとイベントの時間がかぶりまくりで、迷って大変」

私のバッグから飛び出したドラムスティックに目を留め、話題が変わる。

「あら、スティック? 太鼓?」

「はい、ドラムです。グアテマラの翌日にバンドフェスがあるんです。
練習日があと1日しかなくて。今から練習いってきます」

朝8時半から9時半まで、シアタールームのステージ袖で音合わせ。
船を離脱して旅行していたバンドメンバーの一人、Oが初めて練習に加わった。
ボーカル、ベース、ギター、リードギター、キーボード、ドラム。
これで6人全員そろった。

Oは、船をしばらく離脱して飛行機でアメリカ旅行していた。
ジャマイカから船に戻る予定だったのが、急きょ合流地がパナマに変更になり、道中いろいろ大変だったらしい。
雑談もそこそこに練習。
ドラムもギターもベースもアンプも、楽器の数が少なく、音を出せる時間帯も限られている。
つまり音合わせできる回数が少ない。

明日、6月28日から29日の2日間がグアテマラ寄港。
グアテマラを出港した翌日の、6月30日がフェス当日だ。

ドラム経験者の女性がバンドメンバーにいて、「音数が減ってもいいから、安定感をとにかく優先したほうがいい」とアドバイスをもらう。
ありがとう。そうする。

夕方にも集まって、1時間ほど音合わせ練習した。


午後6時、イベントルームでバンドミーティング。
フェス主催者の谷やんが、集まったメンバーたちに向けて言った。

「明日からグアテマラなので、気持ちを切り替えて楽しみましょう。
フェスまで練習時間がほんとうに短いなかで、準備してくれてありがとう」

谷やんは、バンドフェスを主催するために、2回目のピースボートに乗ったという。

初めて船に乗ったとき、バンド未経験の彼にきっかけをくれたのが、当時のバンドフェス企画だったそうだ。
ベース初心者の谷やんに、バンドメンバーたちが嫌な顔ひとつせず教え、一緒に練習をかさね、忘れられない思い出になったという。
船を下りて数年たった今も、本業とは別に、彼は音楽を続けている。

「初心者の自分をあたたかく迎え入れてくれたあの場があったから、今度は、自分がその場をつくりたい」

谷やんからそういう話をきいた。

だからか、時間や楽器が少ない環境にもかかわらず『初心者歓迎!』と門戸をひろく開けていたのは。
おかげで、ほぼ初心者の私も参加できた。
音楽をやる喜びを船で味わえるとは思わなかった。
谷やんのおかげ。ありがとう。

バンドフェスは5月、6月、7月に3回、開催する。
主催者の谷やんは、船内時間のほぼすべてを、フェスのために投じている。

船に乗る動機は、人の数だけあるんだな。

ミーティングのあと、ボーカル担当のSと、ベース担当のOと食事した。
学校なら教室の中心にいそうな、華やかな二人。

「時間がなくて焦りもあるけど、どうせなら笑っていきたいよね」
と、Oがサラダを食べながら話す。

「そう。せっかくだから楽しみたいよね」
と、Sがスープを飲みながら微笑む。

そうだよねー、と返しながら、私は内心浮き立っていた。

バンドメンバーと一緒にごはん。
まるでリア充やんか。

かつて教室の隅でノートに落書きしていた私は、華やかな二人と話すだけでどきどきする。




夜9時、ワークショップ夜の部を開催。
7名の参加。
メイビーも来てくれた。

レストランでよく見かけて会釈を交わす台湾人男性が、初参加だった。
名前は、Gagan(ガガン)。
見かけるたび、いつも穏やかな微笑みをたたえる人だなあとおもっていたら、インドの著名な瞑想家OSHOの翻訳を手がける翻訳家さんだった。
年齢は60代なかばくらい。
ワークショップが終わりホワイトボードを消している私に、ガガンがやってきた。

「面白かったです。
こんど、僕もOSHOのプログラムを自主企画でやるので、よかったら来てください」

ガガンは、私に瞑想プログラムのプリントを一枚手渡した。
ありがとうございます。

私は書く瞑想、彼はOSHOのクンダリーニ瞑想。
瞑想つながり。
バンド、OSHO、瞑想、社交ダンス、文化系、運動系。
乗客さまざま異なる興味関心や好きなものを、「自主企画」という機会で発揮できるピースボートの仕組みが面白い。

夜10時にワークショップが終わり、そのままの格好で急いでシアタールームの袖へ向かった。
今日3度目の音合わせ練習。
こそこそ練習、略してこそ練。
大きな音が出ないように、ドラムにタオルを掛ける。シンバルは響かせない細工。
他のメンバーもそれぞれの楽器の音量をしぼって、30分ほど練習した。

音合わせの練習を終えてみんなと別れ、一人、14階の後方デッキへ。
丸いソファに座って、暗い夜の海を見ながら一人エア練習。

イヤホンで同じ曲を何度もリピート再生しながら、夜風を刻むようにスティックをぶんぶん。
あっという間に汗だくになる。
朝も昼も、気温の下がった夜も、私はずっと汗をかいている。



どんなに動いても、誰といても、孤独感は消えない。

いつものなんか暗くて、狭いとこ。諦めた空気が吸える場所。
どうしようもない孤独をごまかして、心をなぐさめるためだけの思考パターンに逃げてもいい。

ただ、逃げた距離のぶんだけ自分から遠ざかる。

豊かな孤独と悲しい孤独がある。
孤独が悪いわけじゃない。
一人で過ごす時間は好きだ。

自分に背を向け続けてきたから孤独が悲しいんだろう。
いろんな自分から逃げてきたもんな。

逃げた場所から、また動こう。
人がストレスを感じるのは「やることを知りつつ行動していないとき」だそうだ。

ワークショップを朝と夜で2回開催したのも、バンドフェスへの参加も、原稿も。
自分でやると決めた。

負荷をかけて感じるのは筋肉痛か成長痛か。
成長曲線のゆっるーいカーブ。
なかなか上昇に転じない、低め安定の低空飛行。
痛みに耐えて、長い停滞期ののち、しなやかな筋肉が手にはいる。
一歩進んで三歩下がっている気分だ、成長してんのかなー。

汗だくの私を見下ろす鳥の目。

ふと、昨日前方デッキで見かけたカモメを思い出した。
かっこいいんだよなぁ。鳥。

アリも好きだよ。
地に足つけて目的に向かう姿。
目の前の石ころや水たまりを、よけてなお目的に向かう。

眠ったら、朝にグアテマラのプエルト・ケツァルに寄港だ。
プエルトは港、ケツァルは鳥。

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