【洋上日記】2023年6月25日 船旅80日目 予定どおり髪を切り、予定にない空港で一夜すごす

 

気温 30℃ 海水温 30 ℃

早朝というか深夜3時半に目が覚めた。

4時すぎにパナマ運河の航行が始まると聞いていたので、14階デッキに出てみる。
夜明け前でも、船が港を離れているのがわかった。
船が海を割って小さい白波を立てている。

雨のあたらない室内で夜通し語り合う人たちが数人、デッキには人がほぼいない。

昨日から降り出した雨はまだ続いている。
干した洗濯物が一晩で乾くカラカラの船室を出た肌が、ミスト状の雨でうるおっていく。
気持ちいい。

5月中旬からの寄港地ラッシュ、私にとっては原稿ラッシュを、どうしようかな。
暗い海を眺めながらぼんやり考える。

6月25日現在、これまでに書いた寄港地の記事は6つ。
マニラ、バリ、シンガポール、スリランカ、エジプト、ギリシャ。

すでに通過して、まだ書いていない寄港地は、6つ。
イタリア、フランス、スペイン、イギリス、ノルウェー、アイスランド。

これまで、一つの寄港地につき原稿用紙30~50枚、それぞれ15~20時間かけて書いてきた。

船旅のプロジェクトを計画した最初の予定より多い文章量、時間もかかっている。

今のところどうしようもなく、こぼれそうな文章の山を私自身が人ごとのように眺めている。
「この人、こんなに伝えたいのか」と。

長い方がいいのか短い方がいいのか、なんなら「ちょうどいい分量」はどれくらいなのか。
適正なボリュームがわからない。

わかるのは、文章が増えるほど、船の現在地と記事の現在地の距離が離れていくこと。

パシフィック・ワールド号はパナマ運河を抜け、大西洋から太平洋へ出ようとしている。
かたや、私の記事は1ヶ月前の地中海、イタリアの島にただよっている。

時間をかければいいってもんじゃない。
詳細に書けばいいってもんじゃない。

今のやり方よりもっといい方法があるかもしれない。
伝えたいことを伝えるために、もっと大胆に削ぎ落としたほうがいい?

だとしたら、イタリアのサルデーニャ島の街、カリアリで感じたことはなんだろう。
何をいちばん伝えたいだろう。

街で出会った奏者、ジュードのことを思いだす。

ミスト雨でしんなり湿った全身、左手のスマホは朝の5時。
部屋に戻って「イタリア編」の続きを書いた。

集中力が切れるとベッドにでろーんと寝そべって、何度目かわからない『アルケミスト』を読む。
少年サンチャゴが、砂漠の風になったあたり。
勇気を試され続けるクライマックス。

気づいたら本をお腹に載せたまま眠っていた。
6時半、ルームサービスのノックの音で目が覚めた。

曇り空の下に再び出る。
パナマ運河の航行は進んでいる。

早朝4時よりずっと人が増えていて、雨もようの空の下、運河を眺めている。



ここからは、昨日の話。

パナマの帰船リミット前に部屋に帰りついたあと、どしゃぶりの大雨と雷がクリストバル港を包んだ。
笑えるくらいどしゃ降りだった。
雷がバリバリと夜空を走るさまを、14階デッキの屋根の下で眺めながらオレンジを食べた。
皮つきのオレンジにかぶりつく。
手がベタベタする。甘い香りと雨の匂いが混じる。

外のテラス席に、メイビーがいた。

最初、誰かわからなかった。
いつも無造作にひとつ結びしていた彼女の髪が、バッサリ短くなっていた。

「雨、すごいね」
「雨、すごいですねぇ」

6月9日にアイスランドのアークレイリから離脱した彼女に会うのは、久しぶりだった。
リュックと食料のはいった手提げ袋を手に「行ってきます」と港で別れたメイビーの姿。
もう2週間たったのか。


「おかえり」
「ただいまです」
「髪、切ったんだ」
「ジャマイカで切ってきました」
「ジャマイカで!」
「船を離脱したら、ジャマイカで髪を切るつもりだったんです」

私もメイビーも雨が好きなことをお互い知っているので、テラス席で大雨を眺めながら話をした。
オープンデッキの強い照明に照らされて、空に白い雨線がいくつも引かれた。


「ジャマイカが抜港になったのに、それでもジャマイカに行ったんだね」
「そうです。ジャマイカ、楽しかったですよー」


メイビーがくふふふ、と思い出し笑いをする。
かわいい。


「アイスランドで2週間すごして、ジャマイカに移動して、今日、ジャマイカからパナマに来たの?」
「いえ。ジャマイカから直接パナマには、行けなかったんです。
ジャマイカに船が寄港しないって船会社から連絡が来て、どうしようってなって・・・」
「うん」
「それで、ジャマイカからアメリカのフロリダに飛行機で行って、オーランド空港で一晩すごして、それからパナマに来ました」

アメリカ? フロリダ? オーランド空港?

メイビーは予定どおりジャマイカで髪を切って、予定にないフロリダの空港で一夜を過ごして船に戻ってきた。


「パナマは治安がすごく悪いから、港近くのショッピングセンターの外には出ないように言われてたけど、メイビーは大丈夫だった?」
「はい。昨日パナマシティで一泊して、今日、バスに2時間乗ってクリストバルまで来ました」
「シティで一泊したんだ」
「そうです。1500円くらいのドミトリーに泊まりました。
クリストバルはさすがに治安が悪いって聞いて、パナマシティで宿を取ったんです」


寄港地の治安情報を受け、オプショナルツアーの参加者以外、ほとんどの乗客はパナマの港周辺で過ごした。
かたや、寄港地を遠く離れてまわり道(海?空?)をして、メイビーは船に戻ってきた。


治安が悪いのは、ほんとうだろう。
メイビーの体験も、ほんとうだ。
面白いなぁ。

気づけば雨が上がっていた。

ぽん! ぽん! ぽぽぽん!

港の向こうで、小さな何かが弾けた音がした。


「メイビー、いま、花火っぽい音が聞こえなかった?」
「えー! 花火?」
「あっちの方から聞こえた」

テラス席の軒下から出て、雨上がりのデッキを二人で走った。
雨に洗われた涼しい風が吹いた。
音がした方向、右舷側に広がる暗い港町の一角で、小さな花火が建物と建物の間からあがっている。


「ほんとに、ほんとだ、花火だ!」
「雨が止んだすきにあげたのかな」
「お祝いですかねぇ、誰かの誕生日とか」
「かねぇ」

花火は10発ほどあがって、じきに音も光もしなくなった。
ものの数十秒の間、夜空にタンポポサイズの花が咲いた。


「なんかラッキーだね。パナマで花火みれると思わなかった」
「私もです。さよさんのおかげで花火みれました」


メイビーが笑う。
くせっ毛の短い髪が揺れる。


二人で、雨に濡れたデッキの手すりの雫を手で払い落としながら軒下に戻った。

原稿が予定どおりにいかないなら、予定にない流れを泳いでみよう。
目的地が予定から消えても、予定にない動きで目的を遂げる人がいるように。

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