【パナマ編】名乗るものになっていく

ギリシャ編を書き上げたのは、朝6時半だった。

届いたばかりのルームサービスのコーヒーにホットミルクを入れて飲み、スマホを持って部屋を出た。
私以外にも早起きの乗客たちが、デッキに出て外の景色を眺めたり、写真を撮っている。

寝不足でぼうっとする頭の、てっぺんは覚醒している。
空気が気持ちいい。

目が合った人に「おはようございます」と挨拶をしながら前方デッキへ向かった。

見慣れたシャツ姿の男性が視界にはいる。
勇(ゆう)ちゃんだ。
奥さんと一緒に乗船した、60歳前半の台湾人男性。
イギリス行きの電車に一緒に乗った人、会うといつも笑顔をくれる人。

私の部屋から勇ちゃん夫婦の部屋まで、歩いて20秒のご近所さんだ。

彼は英語をまったく話さないが、私を見るといつもニコニコ手を振ってくれる。
言葉は通じなくても、言葉以外で通じている。

「ニーハオ!」

私が中国語で挨拶すると、勇ちゃんは私に気づいて嬉しそうな顔になった。
勇ちゃんは通りがかった人に声をかけて、私たちの写真を撮ってもらうよう頼んだ。

えー、すっぴんなんだけどー。
まあいっか。

パナマ港をバックに。
勇ちゃんのスマホから、私のスマホにエアドロップで共有。
ありがとう。
船旅で、iPhoneのエアドロップ機能が大活躍だ。

ついでに、昨日勇ちゃんのバルコニー付の部屋にちょっとお邪魔した時に撮った、夫婦のツーショット写真もエアドロで共有した。

「シェシェ」

手を振って別れる。
勇ちゃんはその場にとどまり港を眺める。

私は、前方デッキへ向かう。

「おはよう」

今後は、ウノさんが私に声をかけてきた。

「おはようございます」
「おはよう。パナマ運河はいつ入るのかな?」
「明日、25日の早朝4時からみたいですよ」
「早起きしろってことか」

私は笑った。

「8時間かけて航行するから、その間ずっと運河ですよ。
運河に入るところを見たかったら、早起きか、徹夜ですね」
「そうやな」

ウノさんが笑った。



寄港地パナマ、クリストバルの治安はこの旅でいちばん良くない。
というか大変悪い、と言われている。
上陸前に船室に配られる寄港地情報にも、治安に関する注意喚起に本気がこもっている。

「港周辺やパナマシティの一部は日中であっても治安が大変悪いため、徒歩での外出は港ターミナルに隣接するショッピングエリア以外はお勧めしません」

といった文言が、念押しのようにあちこち数カ所に記載されている。
オプショナルツアーに申し込んでいる人をのぞいては、つまり、港の隣にあるショッピングエリア以外は出ないでね、ということ。

私は何度目かの徹夜明けなのと、特にパナマでしたいこともなかったので、おとなしくカフェで仕事するつもりだった。
データのアップができたらいいや。

パナマの上陸許可が下りる。

ターミナルを出たらすぐにDFS。
お酒やコスメやお土産物がたくさん売られている、ここは安全なエリア内とされている。
ここで過ごしただけじゃパナマに行った感ほぼゼロ。
パナマ帽など品揃えは他の国といくらか異なっても、その国らしさが10分の1に薄められたどこにでもあるDFS感。

お酒も香水も興味がないので、DFSのフリーWi-Fiを使ってスマホでもくもくと立ち仕事。

入国検査がひととおり終わるのを待って一旦部屋に戻り、再度リュックを持って出発した。
パナマは朝から雨模様。好き。雨。ふれふれ。
家から持ってきた折りたたみ傘は、結局この旅で一度も開いてないや。

隣接するショッピングエリア。

レストランを発見。
レストランやカフェは、周辺ではここだけらしい。
じゃあここで。

Wi-Fiのパスワードを教えてくれた店員さん。
治安が悪いのは事実なのだろうが、現地の人すべてが物騒じゃないのも事実。

パタコンと、シーフードスープを注文。
パタコンを注文した理由は、Google翻訳がおもしろかったから。

切符売場・・・
パタコンの巣窟・・・

パタコンが何か知らないが、食べられるものなら食べます。
店員さんに訊いたら、調理用バナナを揚げた料理だそうだ。
味は甘くない芋の素朴な味。ソースをつけて食べる。天ぷらみたい。

ガーリックパンがスープに添えられてきた。美味しい。

データをアップし終えるまで数時間。
料理を食べ終わっても、仕事は終わらない。
店員さんに、コーラを追加で注文した。

結局、パナマはほとんど外に出なかった。
船はクリストバルの港を出て、翌日の早朝から、パナマ運河の航行を開始。

通りすがりの国、でもそこを通らないと次の海へ行けない要衝。

浮力を利用して、大西洋から山の上にあるガトゥン湖に上り、再び水の力で船体を下げて太平洋に入っていく。
8時間もの間ずっと、外を眺めつづける人はデッキにほぼいなかった。

水の階段を上り下りしたことがあるだろうか。
どんなに不思議な体験でも、たいていのことに私たちは慣れていく。

パナマ運河の仕組みは、元船長の狭間さんの航海の雑学のアニメーションがわかりやすかった。

アニメーションでは太平洋から大西洋へと船が航行しているが、今回は逆で、大西洋から太平洋へと、ガトゥン湖を経由して渡っていく。

運河では船のエンジンを停止しなければならない。
特別な電車が大きな船体を両側から引っ張って運んでいく。

ゆっくり、着実に、前に進む。
前にしか進めない。

山の上のガトゥン湖が、見えてきた。



寝不足でぼうっとする頭の、てっぺんは覚醒している。
目が合った人に「おはようございます」と挨拶をしながら前方デッキへ向かう。

ウノさんの次に、今度は違う人が声をかけてきた。

「You must be Sayo? Are you a writer?」
(あなたは、作家のサヨですか?)

メガネの男性が、英語で声をかけてきた。
話しぶりの少し控えめな感じは、台湾の方だろうか。
私も英語で答える。

「はい」
「新聞で見てます。自主企画をしていますよね」
「そうです」

「あなたの講座に、ずっと前に参加したことがあります」
「ありがとうございます」
「以前は朝に開催していたのに、最近は夜にやってますね」
「夜の方が参加しやすい、と参加者の方から数人リクエストがあって夜に変えたんです」

男性は、だからか、という表情になった。

この時間に起きていて、すでに身支度もすませている様子からして、この人は朝型なのかもしれない。

「朝に開催しないんですか?」

「いえ、実は来週、初めて朝と夜の両方で開催します。
朝のほうが参加しやすい方もいるようなので」

男性はうなずいた。
それから姿勢を少し正して言った。

「あなたに訊きたいことがあります。
今日は寄港地でお互い忙しいから、別の日に話を聞かせてくれませんか」

「いいですよ。何についてですか?」
「書くことについてです」
「わかりました。あなたの名前を教えてください。台湾の方ですか?」
「はい、台湾人です。イングリッシュ・ネームは、”スクエア”です」
「4つ角のスクエア?」
「はい。名前の由来は今度お話しします」

男性は会釈をして、後方デッキへ戻っていった。
私は前方デッキへ進む。

私たちは、自分が名乗るものになっていく。

船で出会う人に自己紹介するために作ったネームプレートには、手書きで「さよ ライター」と書いた。

「ライター」と名乗ることに、最初は緊張した。
おろしたての新しいアイデンティティの服に袖をとおした、肩ひじ張った感覚。

ごわごわ・こわごわ。

似合っていない気がする。
不釣り合いな気がする。

それでも着続けるうちに、少しずつ体のラインになじんでいく。

パナマに入る数日前、6月22日の夜23時すぎ。

夜遅く開催した自主企画を終えたあと、初めて拍手をもらった。

「言葉を大切にするライターだから、書く瞑想ワークショップを開催しているんですね」

GET語学学校の先生ブライアンからの拍手が、ぺぺやマリア、日本人の乗客、他の出席者たちへ、静かに広がった。

ワークショップ終了時に拍手が起こったのは初めてだった。
不思議な気持ちになりながら、

「Thank you. Actually, it’s my tenth time for the event tonight」
(実は、今日で10回目の主催なんです)

と言うと、

「Congratulations!」
(おめでとう!)

静かな拍手がもう一度、6階の夜のイベントルームに広がった。

「ライター さよ」のアイデンティティ歴は、浅い。
お金をもらって「仕事」として書き始めたのは、5年前だ。

2周目の船に乗ると決めたとき、船内新聞の自主企画の欄には、ただの姓名ではなく
肩書きを添えようと思った。

私が何者なのか、わかりやすく伝えるために。
私が「何者として他者から認識してほしいか」を、表すために。

それは、日本語の船内新聞に「ライター さよ」と表記された。
ぺぺやマリアたちに届く船内新聞には、英語で「Writer Sayo」、
スクエアやヤーウェンたちに届く船内新聞には、中国語で「作家 佐世」。

名乗り始めて船旅79日目の朝。

港で、一方的に私のことを知る人から、英語や日本語で
「ライターのサヨさんですか?」
「作家のさよさんですか?」と訊かれる。
私は「はい」と答える。

私は、そこで相手の名前をたずねる。
知り合いになる。
よろしくお願いします、と笑顔を交わす。

14階レストランでスイカをてんこ盛り食べていても、7階デッキでぼーっと海を眺めていても、ライター・作家と知って私に声をかける人が、少しずつ、少しずつ、増えてくる。
私は、相手が認識する私のアイデンティティにすばやく着替えて、その人と向き合う。
制服を着たとき気持ちがしゃんと引き締まるように、ライター・作家の「分人」を生きる。

制服を脱げば、スイカを頬張るさよに戻る。

新しい服が、体になじんできた。
前方デッキで運河を眺める私のシャツが、風をはらんでパタパタ踊る。

過去、何をしていたか関係ない。
今日、何をするかも関係ない。
時の厚みにかかわらず、いつか、私たちは名乗るものになっていく。


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