【番外編】ジャマイカ・ノープロブレム!!!!!

問い

「信じること」の定義を述べよ。

書き終えたら、ばってんをつけなさい。
設問に大きなばってんを。

人を信じるなんて、なんてリスキーで素晴らしくてあほらしくて、でもやめられないんだ。
それがないと、心臓より大事な器官が退化するんだ。
相手が私の目を覗き込んで、その奥に焦点を結ぼうとしていたもの。




最初に声をかけてきた陽気な2人組は、私たちが彼らのガイドに従う気がないと知ると、別れ際に「タイマ」と口にした。
その言葉を聞いた私は、彼らが去った後で友だちに話す。
「ああ」と彼女はうなずく。

「上陸説明会で聞いていたとおりだったね。
間違っても船にうっかり持ち込まないように気をつけないと」

ジャマイカの土産屋でやたら目についたフレーズ
『JAMAICA NO PLOBLEM!!』
わざわざ言うあたりが怪しいと2人でふざけて笑った。


べったりした暑さだ。
街中には無造作に大きなスピーカーが置かれ、レゲエやアメリカンポップスが流れている。
通りがかる子どもが体を揺らして踊る。
黒いスピーカーにもたれてCDを売るおじさんは、気だるい表情で少年を見やる。
スピーカーから澄んだ声で「私の中の天使」と誰かが歌う。



地元人とすれ違いざまに鼻をつく、枯れ草を焼くような香り。
ああ、またあの香り。


スケッチブックを買いたい友だちと、小さな雑貨店で平積みのノートをひっくり返していると、ガタイのいい男性が「あっ、日本人?」と日本語で声をかけてきた。

そうだよと答えると、わはははははと首をのけぞらせて大笑いした。

あっけに取られている私たちに彼は、この間まで東京で働いていたんだよ。
六本木のクラブのDJね、と笑った。

テレビ番組に出てくる日本語ペラペラの陽気で愉快な黒人みたい。

「あー、もう、なんだよぉ。日本人に会えると思わなかったよー」



そんなに歯を見せてあっけらかんと笑われたら。
さっき大麻を売りつけようとした黒人2人組の、人を斜めからすくう目つきで噴き出した汗に風が吹いた気がした。

日本でギャグ教わったよ、とおどけた仕草に私たちも笑い出す。



ピーターは、32歳という年齢に見合うさりげない配慮と、年齢よりずっと若い見た目に見合う無邪気さで、私たちをモンテゴベイの博物館や、安くて美味しいパティの食べられる地元の店へ連れていってくれた。

「金沢大学で日本語も習ったんだ」

そう言って、私たちの手にした地図のカタカナを拾って読みあげる。
ノートに「ピーター・もンテゴベー」と彼は子どもの字で書きつけた。

11月の終わりに、また日本に働きに戻るからぜひ会いたいねという話になり、アドレスを交換した。
メールアドレスうろ覚えだから後でメール送るねと、ピーターがにっと大きく笑う。
地元の人が興味深げに私たち3人組をチラチラ見ている。

「そうだ。今年の秋に日本のクラブでイベントがあるんだけど、そこで使う旗を俺の友達に渡してくれないかな?」

彼が言った。
クラブの住所はF市とN市。
私たちの居住地にわりと近い。

「喜んで」

私たちが言うと、ピーターはにっこり笑った。

「旗って?」

と私が訊くと、ピーターは言った。

「ジャマイカの旗だよ。イベントで使うの」
「どこにあるの?」

友人が訊くと、ピーターの日本語がよたついた。

「たぶん、家じゃないかな」

ニッと笑う。
それで私たちは彼の車に乗って、家へ向かった。

塗装は剥げているがエアコンがよく効いた、新しいカーオーディオからご機嫌なレゲエの流れるマークⅡだ。

ドクターズ・ケーブ・ビーチから 少し内陸に入った場所に彼の家はあった。
真っ白なポーチ、2台の車、野生的なヤシが植わった広い庭。


彼の父親と短く話したかと思うと、ピーターはすぐに車に戻ろうとする。

「行こう」

びっくりした。もう?

「旗はここになかったんだ。兄弟のところにならあるかも」

運転席に乗り込みながらピーターが言った。


友だちが、ピーターに聞こえないようにそっと言う。

「さよ、なんかちょっと変だと思う」
「何が?」

ポカンとする私に、彼女はその話をした。
思い当たるふしはあった。胃に何かが乗っかる。


途中でみつけたカフェに立ち寄りコーヒーを飲む。
たわいのない話に冗談に笑い合い、写真を撮りあう。

夕方から始まるレゲエイベント、サンバッシュに参加する彼女を会場そばで下ろし、私とピーターは車に戻る。
別れ際に彼女は「気をつけてね」と私に言い残した。


ピーターは車を走らせる。

彼の友達から旗を受け取るために。
さっきは、いとこから受け取ると言っていた。
その前は、兄弟から受け取るとも言っていた。
二転三転する言葉。
ときおりかかってくる携帯電話に、聞き取れない早口英語。

かと思えば急に停車し、通りを歩く知人に話しかけるピーター。
開けられるトランクルーム。

あんなに流暢に日本語を話していた人と同一人物と思えないほどに、時々彼の日本語は不自由になる。
声が見えない何かにつまずくみたいに。

やっと手に入ったジャマイカ国旗は、見た目のわりにずしりと重たかった。
旗布の素材はポリエステルだ。
私は目だけ動かして、黒い柄の両端をすばやく確認する。
柄は木でできているようにも、何か別の黒い素材でできているようにも見えた。
塗り込められた跡のようにも、もともとそういう造りのようにも見えた。

私の目の動きを追う、彼の短い視線を感じた。
お互い気づかないふりをする。

帰船リミットの時間まで、ピーターはゆるやかな海岸線に沿ってドライブしてくれた。



ビーチに夕陽がゆっくり落ちていく。
レゲエの三色にもこんな色があったな、きれいな赤で。

港の手前、中途半端に離れた路肩の草むらにピーターは車を止めた。
エンジンを切るとエアコンの音が消え、音楽も消え、車内はしんとしてしまう。

「正直に言うけど」

私は言った。

「疑う気持ちと信じたい気持ちが戦っている。
私の顔を見ればわかるだろうけど」

「うん」
「率直に聞くよ」

丸めた旗を手にピーターを見た。
ピーターの目が一瞬泳いだ。

「この旗に、あれは入っていないよね」

夕焼けは15分前にとうに終わって、辺りはだんだん暮れていく。
井戸に投げ込まれた小石の質問が、車の中を反響する。
ピーターはうなずいた。
それはかすかすぎて、うなずいたようにも、凝った首を傾けたようにも見えた。

「なら持ってく。 ピーターを信じるよ。
言われた通り、N市とF市のDJの友達に渡す。
それぞれ3本と4本ずつでよかったんだっけ」

ピーターが目をしばたたかせた。

「待って」

待ってみた。
ピーターはフロントガラス越しの空を見ている。
目を合わせなくても、空気を押し合うにらめっこみたいだ。
ピーターの瞬きがやむ。彼は目を閉じていた。

「いや、あなたが不安な気持ちのまま旗を船に乗せるわけにはいかない。
忘れて。旗。
なくてもイベントには影響ないし、なんとかなるし」

気分を害してごめん、と私が謝る。
でも、こんな場面のごめんには何の意味もない。
ピーターが笑った。

「ナニイッテンノー、トモダチデショ?」

トパーズ号が待つ港へ向かう車内で、ピーターの話を聞いていた。
彼が学生の頃にマリファナをよく吸っていた話。
試験勉強がはかどるのだそうだ。
彼は言う。

「一種の瞑想みたいなものなんだ」

港に着いた。

旗はともかく、今年の秋に会おうよ。
そうだね。
そうそう、さっきの君の友達も一緒に。
うん、いいね。

イベントの日時とクラブの名前と場所をもう一度聞いて車を降り、強く握手をする。

「今日は本当にありがとう」
「どういたしまして。俺も楽しかった。楽しい旅を!」

ピーターが歯茎を見せてもう一度笑った。
日はすっかり暮れて、彼の表情はよく見えなかった。

俺の友だちに渡してくれるの?
なに水くさいこと言ってんの。友だちでしょ。

お互いの手を高らかに鳴らしたときの、乾いた明るい音。
そうして友だちだと信じて預かった『お土産品』が、空港の警察犬に吠えられ暴かれた別の思惑。


ジャマイカでかつて起こった、そんな話をいくつも聞いた。
さあ、今目の前で起こっていることのなにを信じる?

 I am your brother
 I am your friend

54回クルーズ出航曲『Believe』が流れるなか、船はジャマイカからゆっくり離れていく。

出港をほとんど見逃す私は、この夜はめずらしく早い時間からデッキにいた。
友だちとぽつりぽつり話す。

「旗は受け取らなかったよ」

私が言うと、ジャマイカの明かりを見ながら「そっか」と彼女は言った。

「私の、ピーターを信じる気持ちと疑う気持ちの分量は、さよの気持ちの割合と逆だったの。
さよは信じる気持ちが多くて、私は疑う気持ちが多かった」

そうかもしれない。
でももしかすると、信じることに分量も配分もないのかもしれない。
こんなに単純でややこしいから「信じること」がテーマの歌や小説や映画が世界にあふれている。

日本で会おうと言っていたけれど、会うことはないかもしれない。
メールを送るよと言っていたけれど、送ってこないかもしれない。
彼のメールアドレスがわからないから、メールを待ってみよう。
メールが届いたら、ジャマイカで撮りまくった笑顔にまみれた写真を添えて返信しよう。



「信じるから裏切られる」と誰かが言った。
そのとおり。
でも裏切られたらなんだというのだろう。
くりかえし信じる。
もしまた裏切られたら、また笑う。
人はそう強くないけれど、弱くはない。

You must believe
You must believe

T.FRENDZが歌う。
私たちも風に乗って一緒に歌う。

人を信じるなんて、なんてリスキーで素晴らしくてあほらしくて、やめたくはないんだ。



☆「ジャマイカ・ノープロブレム!!!!!」は 第54回地球一周の船旅クルーズ(2006年7月21日〜10月30日)で、船上で発行された一冊だけの月刊誌『週刊MONMON』に寄稿したものです。








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