【グアテマラ編2】夜の湖

朝8時に船を離脱して、港から空港へ。
午後1時にムンド・マヤ空港へ到着した。
タラップを降りると強い日差し。


空港からバスでフローレスへ向かう。


今回もグアテマラのガイドブックは見ず、ネットもほぼつながず事前情報ほぼナシ。
こういう無防備な姿勢は、20代くらいまでなら「若気のいたり」な素敵的(?)な表現があるけれど、若くないとどうなんだろ。

言葉になる前の新鮮な未体験が、ガイドブックにあらかじめ説明されてしまう。
「ガイドブックの答え合わせ」のような旅がちょっと苦手だ。

情報を手にいれるほど、計画を立てるほど、なにかがせばまる気がする。
知れば、知らなかった自分には戻らない。

物知らずで無防備な状態は、トラブルやハプニングと隣り合わせになりやすい。
けれど、向こうみずな自分の余地を、すこしは残しておきたい。
もし痛い目に遭ったならそれも体験だ。最悪死ぬけど。
普通に生きても明日死ぬかもよ。
今日まで生きた時点で運がよかった。


フローレス島のレストランでビュッフェ式の昼食後、自由時間。
暑さにレストランで過ごす人、近くを散歩する人、ばらけていく。
私は島をすこしめぐることにした。


空港では晴れていた空に、雲が増えていく。

片道一車線の道路でつながるフローレス島に歩いて渡った。
雨は降ったり止んだり、風も強くなってきた。
遠くで無音の稲光が走っている。


グアテマラのミニタクシー。
運転手の客引きの声に強引さはなく、目が合うとにこっと笑って「オラ!」と声をかけ、乗客になりそうかうかがう。
歩いて一周できる大きさのフローレス島は、住宅がカラフルで街歩きが楽しいエリアとスタッフが教えてくれた。
たしかにアイスクリームみたいな色の家々が連なっている。

現地で傘を使うひとは観光客以外でほとんどいない。
私も雨ざらしのまま歩いた。
ひどくなれば雨宿りして、小雨になるとブラブラ島歩きを再開。


雨がまた降ってきた。
同じく島を観光しているらしい家族連れと軒先をわけあった。
男の子のきょうだいがじゃれながら遊んでいる。
二人の様子を眺めて笑う若い母親の授乳ケープの下で、2歳くらいの細い足がのぞく。

集合時間になり、今日の宿泊先へバスで向かった。

ホテルへ向かう狭い道の右側はジャングル、左手には大きな湖が広がっている。
地元の子どもたちが桟橋から飛び込み泳いでいた。


ホテルのロビーで部屋の鍵を受け取ったとき、不思議な気持ちになった。

鍵のキーホルダーに見覚えがあった。

これ、触ったことある。
前に泊まったことある。

このあたりは有名な遺跡が近いので、数軒のホテルが点在している。
今回のツアーの宿泊候補も6つホテル候補があったらしい。
で、同じ場所に泊まる。
2006年の私がトレーシングペーパーのように重なった。

この点と点は、何につながるのだろう・・・
知らんけど。

とはいえ、記憶にないものもたくさんあった。

ホテルから徒歩5分で大きな湖に行けることを、あの頃の私は知らなかった。
ホテルにプールがあるのも、知らなかった。
小さなキーホルダーは憶えていて、大きな湖は記憶にない。


たとえば同じツアーで旅をしていても、体験や残る記憶はそれぞれ違う。
当時の私に、湖は存在していなかった。
本人が見ようと意図するまで、視界の「それ」は立ち現れない。

部屋に入ると大きなベッドが二つ。ベランダの外にはジャングルが広がっていた。

ティカル遺跡ツアーで割り当てられた部屋は相部屋、バンド仲間の女性と一緒だった。
彼女の年齢は、初めてグアテマラに来たときの私と同じ。
これもなにかの符号だろうか。知らんけど。

ただの偶然で流すもよし、意味をさがすもよし。

彼女は部屋に入ると手にしたスマホをWi-Fiにつなぎ、広いベッドに寝そべった。
長時間の移動疲れか、バンド練習や船内イベント続きで疲れがたまっていたのか、伸びをしながら

「あああーもう、ただ、非生産的なことしたい・・・」

と独り言をいって、インスタを眺めはじめた。

だよねえ。わかるわー。

自ら望んで飛び込んだ刺激的な変化の日々も、ふかふかベッドにゃスイッチ切れるよね。
もう一人の私を見ているようだ・・・

しかし『じゃない方』、意欲的なほうの私がこう言っていた。

「夕食の時間までプールに行ってみる」

前に、やらなかったことをやってみたい。

私は水着もってきてないんで部屋でダラダラしますー、と彼女は言い、スマホ画面をスクロールしながら、くたり眠ってしまった。

彼女を起こさないように静かに着替えて、ホテルのプールへ。
ギリシャの古着屋で買った、間に合わせの水着を持ってきていてよかった。
前に来た時は、水着を持ってなかった。

ホテルのプールで泳ぐ、って、すごくないか。
旅を楽しんでるって感じがしないか。
そんなことしていいのか。
いいのかってなんだ、誰の許可待ちだ。
楽しむのを遠慮するクセのある自分にツッコミ入れる。

ジャングルの熱気を冷ますプールの水温が気持ちよかった。

プールには先客が数組いて、ビーチボールを投げ合っている。
端から端まで泳いで、引き返した。

仰向けに浮かぶと、ジャングルの木々に取り囲まれた自分がいた。

プールで泳いでる、私、すげー。
なんかリゾートしてる。

プールを出て、隣のジャグジーで温まっていると、30代の母親と小学生くらいの男の子がジャグジーにやってきた。
目が合い「オラ!」「オラ!」と挨拶しあう。

「スペイン語話せますか?」と彼女が訊くので、
「グラシアス(ありがとう)と、ドンデ・エスタ・エル・バーニョ(トイレどこですか)の二つです」と答えると二人は笑った。
「英語は話せますか?」と私が訊くと、「少し」と彼女。

グアテマラ・シティ在住、今日は車で9時間かけてティカルへやってきたという。

「シティはどんなところですか?」

「ゴミゴミして人が多いし、渋滞ひどいし、空気がよくないです。
住みやすい土地じゃありません」

日常を思い出した彼女が、顔をしかめた。
それから、お湯に脚をうーんと伸ばして、視界を切り替えるように周りを見まわした。

「ここは緑が多くて、静かで、ホッとします」

隣のプールで、ビーチボールを投げあって遊んでいたのは彼女の娘二人と夫らしい。
彼女は弁護士で6人家族、ここのホテルに3泊するそうだ。
義理の父があとから合流して、ゆっくり過ごすと言う。

「仕事は何を?」

日本でライターをしていると言うと、何を書いているのかと彼女がさらに訊く。
いろんな人のプロフィールや、物語を、代わりに書いていると説明すると、
「そんな仕事があるんですね。初めて知りました」と彼女。

「あなたの英語はきれいね。話しやすい」

彼女が笑って言った。
文法的な正確さとは違う意味で、そう言われた気がした。
きっと、私がリラックスしていたからかもしれない。
『正しく話そうとする』気負いが湯気にほどけている。


ホテルの夕食もビュッフェ式だった。
名前のわからない地元の料理を、気が向くまま皿に盛って食べる。

なんの野菜か、どんな料理か、名前がわからなくてもおいしいものはおいしかった。
海外の果物はカットが大きくて勢いがある。


日本のビュッフェだと、たいてい料理の前に料理名のプレートがあってなんの料理かわかるが、海外では見たことがない。
文字情報がないぶん、見た目や匂いで判断する。
食べる前から情報をたらふく食いたがる習慣のついた、頭でっかちの自分に気づかされる。

夕食後、着替えてまたジャグジーへ行った。
水着は着てても気分はお風呂です。

大阪、東京、広島から参加した、船で顔なじみの方々が、先にジャグジーに浸かってのんびりしていた。
一人部屋、相部屋、と部屋タイプは違っても「バスタブがない」が共通点だ。

「お湯に浸かれるって、いいですねぇ・・・」

「ホッとするよねー」

退職して乗った人、介護を終えて乗った人、仕事を持ったまま乗った人。
40代、50代、60代、それぞれ異なるライフステージで、ひととき同じお湯のなか。

「ああー、あと30日切ったね」

「1ヶ月後には日本かー」

「仕事がたまってるー」

「まーまー、まーまー」

日が暮れたジャングルでカエルの鳴き声を聴きながら話していると、中国人スタッフの男性が「こんばんは」となめらかな日本語でジャグジーに入ってきた。
船内で見かけたことはあるが、話すのは初めてだ。
角刈りの短髪に黒縁のメガネをかけた、勉強ができそうな雰囲気のHさん。

「長年の夢がやっと叶い」船会社に雇用されスタッフとして、今回初めて乗船したという。
コロナ禍で乗船タイミングがずれにずれた予定を調整しつづけ、乗船をあきらめなかったそうだ。

中国人乗客が100人以上いるのに対し、船側の中国人スタッフは一人らしく、ほぼ休みがなくとても忙しいそうだ。

「一人?! 他に代わりはいないの?」

「ほかの中国人スタッフは別の業務担当なので、お客さまの係は私だけです」

「わー、大変」

「いえいえ。とても貴重な経験をさせてもらってます!」


日本人の私たちは、彼の直接の担当ではないけれど、あくまでスタッフと乗客の関係だ。
本音のボリュームはこれくらいで、と調整したような笑顔、スタッフという立場の距離感。
私が逆の立場でもきっとそうだろうな。

人数が増えたせいか、打ち解け具合か、きゅうにジャグジーが狭くなった気がした。

雑談が一巡して見上げたら、月。

「湖のあたり散歩してきます」

私の思いつきの言葉に、一緒に入っていた人たちがびっくりした顔になった。

「湖? 今から? 真っ暗だよ。街灯もないよ」

「月明かりあるし、大丈夫です」

「えー、大丈夫かな」

「カエル踏まないように気をつけて!」

「はーい」


ジャグジーを出ると夜気がひやり。
気持ちいい。

木々の間からこぼれる月明かりで石段の幅をたしかめ降りていると、Hさんが後ろからやってきた。

「一人じゃ危ないです。ついていきます」

「大丈夫ですよ」

「いいです、いいです」

「たまの休憩時間、ゆっくりしたらどうですか?」

「僕も湖に行ってみたいのでいいです」


じゃあいいか。
草むらから、けっけっけっけ、とカエルの鳴き声が聴こえる。

ホテルの裏門から、ゆるい石段を降りていくと湖に出た。

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