【グアテマラ編1】地球を何十周する人

ティカル行きのプロペラ機で隣の座席に座った人は、17年前の同じ船に乗っていた。



6月28日の朝6時、船は中南米グアテマラに入港した。
明日29日の夜まで2日間グアテマラ滞在だ。

私は「マヤ最大の遺跡ティカル2日間」のツアーに申し込んでいる。

17年前もティカル遺跡に行くツアーに参加した。
前回も、今回も、このツアーに申し込んだ理由が自分でもわからない。
世界遺産に惹かれるわけでも、マヤ遺跡に関心があるわけでもない。

ほとんどの寄港地でツアーは取らず自由行動なのに、どうしてだろう。
今回114回クルーズに申し込む際、オプショナルツアーのティカル2日間にまた申し込みする自分に首をかしげていた。

理由がわからないときは、秘技「せっかくだから」。
せっかくの機会だ、行ってみよう。
久しぶりに飛行機に乗れる。

プエルト・ケツァル港に着岸後、外にでると船内の乾燥した空気から一変、湿度の高い空気が満ちている。
部屋干しした洗濯物が一晩で乾く船内の空気から、ジャングルの生気で重みのついた湿気へ。
気温は33℃、鳥の鳴き声が聞こえる。
ケツァルってグアテマラの国鳥の名前だっけ。

空港へ向かうツアーバスに乗りこんだ。
窓際の席についている女性に軽く会釈して、通路側の座席に座った。
これから2時間ほどバスに揺られて空港へ向かう。

車窓から、円錐型した高い山がいくつも見えた。
誰かが「富士山みたいにきれいな形の山がいっぱい」と。
火山国グアテマラは快晴だ。

移動中、現地ガイドさんがグアテマラについて説明する。
私は手元の紙にメモを取る。
すぐにいろいろ忘れるので、メモを残す習慣がついた。

隣の女性もおなじく、小さなブルーのメモ用紙に書きつけていた。
手際よく何かを書きとめ、メモを閉じ、また窓の外を眺めている。

「メモ取られてるんですね」

メモの内容が気になって、声をかけてみた。

「うん」

窓の外からこちらを向いた女性が、手にしたメモを見る。

「でも、このガイドさんの説明はガイドブックに書いてあることばかりね」

人口や、主要産業や、言語、海抜、火山帯。
マヤ文明の要、ティカル。

「お名前きいていいですか? 私はさよと言います。福岡から参加しました」

「私は、とーみんです」

あの、とーみん?

「船内新聞でお名前知ってます。いろんな自主企画をたくさん開催してますよね」
「そうそう」

自主企画のタイトルがバラエティに富んでいる。

たとえば

「中米でこれから行く国 行けなかった国の映像」とーみん
「キューバ ボランティア体験から見えたもの」とーみん
「1976年鉄のカーテンの向こう側 東欧」とーみん
「北極圏の海から南極を語る(映像あり)」とーみん
「フリーデンスドルフ 国際平和村を訪ねて」とーみん
「ヨルダンのパレスチナ難民キャンプを訪ねて」とーみん
「小学生も落第するコスタリカの教育制度」とーみん
「旅のアクシデント集 役に立つ対処法」とーみん

 … and more !

ただの一般乗客じゃない、こんなユニークな自主企画をほぼ毎日主催する人なんて。
前から気になっていた人の、名前と顔がついに一致した。
海外経験が豊富に違いない。
ガイドブックの観光地をなぞる旅行というより、自分の住む星で何が起きているかを確かめたい意思が連れ出す旅。

とーみんの企画が前から気になってました、と言うと「ありがとう」とーみんが静かに笑った。


彼女の笑顔に、とつぜん「ムーミン」とあだなのついた昔の船仲間を思い出した。
17年前、地球をめぐり終えた最後に神戸港で降りるとき、彼女と二人で写真を撮った。
ショートカットヘアでゆったり笑う上品な女性で、背筋を伸ばして歩く姿。
あれは54回クルーズで、今回は114回クルーズ。
彼女はいま70代だろうか。
ムーミン、元気かな。

とーみんが私に訊いた。

「あなたは船、何回目?」

この質問おもしろいな、と思っていたのは乗船してまもない頃だ。
「船、何回目?」は、船で何周も地球をめぐる人たちが一定数いる領域で交わされる『ありふれた質問』だった。

ピースボートはファンが多く、3割以上がリピーターと聞いたことがある。
私も17年ぶりのリピーターだ、そういえば。

「2回目です」
「最初はいつ?」
「54回クルーズ、トパーズ号のときです」
「あー、私もそれに乗ってたわ」

びっくりした。

「そうなんですか?」

「退職して初めて乗ったのが、54回クルーズよ。
退職した時すでに船は横浜を出てて、でもどうしても乗りたくて、スペインから乗船したの」
「あのクルーズは、バルセロナに寄港しましたね。途中から乗船ってすごいなぁ」
「だって乗りたかったから。次のクルーズを待てなかったの」

今回の船で初めて、むかし同じ船に乗った人と出会った。

「もしかして、ムーミン知ってます?」

「ムーミン知ってるよ。
54回なら、ピノは知ってる?
メキシコ人と結婚してメキシコに住んでる」

ピノとあだ名のついた、20代日本人女性の笑顔がうかぶ。
ふっくらピンクの頬が幼げに見えて、意志の強い女の子。
船上の語学学校(GET)で、熱心にスペイン語を勉強していた。

「ピノ? 今は子どもが3人いる?」

「そう」

「知ってます。じゃあ、よっしーは?」

「うん。まえじゅんと結婚したでしょ。
よっしーは船の売店でバイトしてたわね」

「売店でバイト! 懐かしい。バイトしてましたね。
よっしーと、今でも連絡とりあってます」

「そうなのね」

とーみんが何かを思い出すような表情で笑った。

とーみんは『海の上で暮らす』のが好きで、ピースボートに20回以上乗っているという。

20回以上!! なにもんだこの人!!
私の表情で察したとーみんが、慣れた口調で話し始めた。

「べつにお金持ちってわけじゃないよ。
人生で、他に欲しいものがないから船に注いでるだけ。
普段、1000円と800円の定食があったら、800円を選ぶよ。
好きなものを好きなだけ選んでいたらお金いくらあっても足りないもの。
なんでもそう。節約して、次の船代にしてるだけ」

今回は、彼女の夫と一緒に相部屋で乗船しているという。
一人で乗ったり、二人で乗ったり。

「とーみん夫婦はバルコニー付きの部屋ですか?」

「まさか。窓はあるけど、バルコニー付きにするお金がもったいない。
そのお金を次のクルーズ代に回す」

まわりに流されず自分が大切にしたいものを知る人の、選択と集中はハンパない。
自分が大切にしたいものを明確に知る人の言葉は、ドヤってないもんだ。
今日の天気の話くらいに淡々、たんたん。

そうやって、彼女の人生の優先事項『船の時間』を選びつづけて、20を超える乗船履歴になった。



グアテマラシティ空港からプロペラ機に乗り、ティカル遺跡のあるフローレスへ向かう。


タグエアライン航空のチケットは、買い物のレシートみたいにシンプルだ。

搭乗待ちの間も話し続け、しぜんと飛行機でもとーみんの隣の席に座った。
あっという間に離陸して、プロペラの下にグアテマラの住宅地と田畑が広がった。

長年の仕事を勤め上げたとーみん。
今は「ひとりNGO」と称して、カンボジアの地雷で四肢を失った人たちへの継続的な支援など行っているそうだ。
支援といっても、単なる経済的支援ではない。

金を渡し続ければ『援助慣れ』を起こしてしまう。
現地の人たちが「困ったらお金をもらえばいい」の発想で自立の力を失わないよう、奪わないよう、細心の注意をはらっているそうだ。
なので英語教育のサポートや、支払い能力がある人には貸付をするなど、本人いわく「かなりめんどくさい方法」で顔の見えるサポートをしている。
手段が目的化しないように「めんどくさい」を選ぶ彼女の視野には何が見えているんだろう。

17年前を初対面の人と共有できるとは思わなかった。

「前に私も、カンボジアの地雷撤去スタディツアーに行きました」

「そうなんだ」

「何も知らないで生きてきた自分に実体験をすこしでもかじらせようと参加して、5日間カンボジアに離脱して地雷原のそば、撤去現場へ行きました。
地雷撤去の体験をさせてもらえたんですが、地雷の爆破ボタンを押した瞬間、数十メートル先で爆音と土埃が上がって、足元の地面が震えました」

「そうなのね」

「ポル・ポト派の元少年兵が地雷被害に遭った子たちを養育する施設へ行って、実物の地雷を手に説明してくれた子どもの右手は肘から下がありませんでした。
そこで暮らす人たちの四肢はどこか欠けていました。
虐殺された人たちの骨が収められた塔のガラス越しに、椰子の木くらいの高さで頭蓋骨が積み上げられているのを見ました。
いろいろ落ち込んで帰ってきました」

「うん」

話しながら、すこしずつ思い出した。
スタディツアーに参加した有志が集まり、船上で報告会をおこない、募金を集めてNGO団体へ送った。
あのときの行動があのとき止まりの私。
かたや、カンボジアに長年関わり続けるとーみん。

とーみんは、どうしてカンボジアなんだろう?
私の疑問は顔に書かれていたのだろう、またも答え慣れたように彼女は続けた。

「とくにカンボジアに思い入れがあるわけじゃないのよ。
顔が見えて、会える距離で、私にできることを探したら、カンボジアだっただけ」

「寄付を集めるのが苦手」という彼女は、お金を集めることなく、他者の善意を束ねてつないで、車椅子を四肢欠損した人たちへ届けている。

「カンボジアに行きたい人を見つけて、その人たちの「手荷物」で、中古の車椅子を持っていってもらうの。
そうしたら輸送費かからないでしょ?
コロナでしばらく行けなかったんだけど、今年の秋にまた行くつもり」

体格のいいCAさんが飲み物のペットボトルをカートで運んできた。
水と、かき氷ブルーハワイ色をしたファンタ風のペットボトル。
水を受け取ってひとくち飲む。

「そういえば、抜港(ばっこう)って、これまで乗船してて何度かありましたか?」

「フツーにあるよ」

「そうなんだ! 緊急搬送も?」

「あるある。それで予定外の港に向かうことになったり、いくらでもあるわ。
数年前のクルーズでは、8回緊急搬送があったかな」

「8回!」

「緊急搬送しようにも、次の港まで遠くて12時間かけて前の港に戻ったり。
横浜が抜港になったこともあった」

「横浜が抜港・・・じゃあ、下船予定だった人たちはどうしたんですか?」

「神戸港で下りて、バス十数台を手配して横浜へ向かった」

「すごい」

とーみんは笑った。

「船ではなんでもありますよ」

そうか。そうだよな、と彼女の話を聞いていた。

予定外の出来事はいくらでも起きる。
船の上が特別じゃない。陸上でもおなじだ。

不慮のケガ、病気、対人トラブル、望ましくないハプニング。
予定にないルート変更、思いがけないメンタル不調。
因果応報だと納得しがたい理不尽な出来事。
もらい事故のようなブーメラン。

「予定通りにいかなくて当たり前、ってどれだけ織りこめるか、なのかな・・・」

「そうね」

今クルーズに予定された寄港地の数々が、まるでライフイベントに思えてくる。

相手国の事情で中国の厦門(アモイ)と東ティモール寄港がなくなり、マニラ滞在3日間に変わった。
コロナ事情でニューヨークへの寄港が、ジャマイカに変更になった。
船の停電トラブルで、ノルウェーのトロムソ港に停泊した。
スケジュール変更で、ホニングスヴォーグへの寄港がなくなった。
ドクターヘリによる緊急搬送で船が北上した影響で、ジャマイカ寄港がなくなった。

ならば、失くしてばかりだっただろうか?
手に入れたものは当然と、数えてすらいないんじゃないか。

私たちは『得る予定だったものが得られなかったとき』に、痛みや怒りをおぼえるらしい。
失ったものに気を取られがちなぶん、『思いがけなく得られたもの』をカウントするには意思がいる。

子どもの頃に想像した「大人の自分」が、どれだけ描いたとおりになっているだろうか。

〇歳までに何をして、〇歳までに何者になっていたかったか。
なにを生業にして、なにを生きがいにしているか。
一人なのか、誰かと共にいるのか。
どこで暮らし、どんな人生を生きているか。

うまくいくよう動きながら祈って、うまくいけば幸運。
うまくいかなければ調整、捉え直し、仕切り直し。

港をすっとばし、何かを諦め、予定どおりにいかなくても、それでも船を進める。
次はうまくいくように舵をとる。

「お年寄りはみな、過去の話ばかりしたがるでしょ。
それで、前はああだったのに、って怒ってる」

窓の外を眺めながら、とーみんが言った。
プロペラの下にグアテマラの田畑、うねうね曲がる川、点在する住宅地。

「私は、今とこれからの話をしたいの」

起きたことに怒るばかりでは、ただ消耗してしまう。
行きつ戻りつしながら、私たちはそれぞれ目的地を目指す。
船で、飛行機で、足で、意志で。

目的地は数々の寄港地ではなく、ましてや下船する横浜港・神戸港でもないのかもしれない。

とーみんの目的地は、どこだろう。
私の目的地は、どこだろう。


あっというまの1時間のフライトだった。
グアテマラの田畑と住宅がみるみる近づいて、機体は揺れながら着陸した。

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