【エジプト編 1】エジプトでマッチ売りの少女

一晩スエズ運河の入り口で待機、停泊した船は、翌朝4時にスエズ運河に入った。

11時間かけて航行し、夕方5時にはエジプトの港町ポートサイドに入港予定だ。

私の今日のスケジュール

早朝 : スエズ運河を眺める(14階デッキ)
昼間 : 仕事(部屋で)
夕方 : エジプト上陸(11日ぶりの陸地)

午後1時、11階、左舷側中央、A516号室。
窓なし部屋の机の前。
眉間にシワつくってパソコンに向かっていた私に、部屋の電話がなった。

「うちの部屋からね、砂漠が間近で見れるのよ、人が見えるくらい近いの。朝からずぅーっと」
「わー、いいですねえ」
「よかったら部屋に来て、スエズ運河を眺めない? ゆきちゃんといらっしゃいよ」
「ありがとうございます。えっと、どなたですか」
「あらー! あはは、ごめんなさい、名前ね。私、マサコです」

船に備えつけの部屋の電話は、ひと昔前のビジネスホテルの電話に似たナンバーディスプレイがない懐かしいタイプ。
名乗らないと誰からの電話かわからない。
それでも携帯電話が使えない船内では、貴重な連絡ツールだ。

声の主は、マコちゃん(70代)だった。

ゆきちゃんと一緒においで、とマコちゃんは言い、電話は切れた。

マコちゃんの部屋は、私と同じ11階。
だが、バルコニー付の一人部屋だ。

彼女は神戸港から船に乗った初日から、配管トラブルで部屋じゅうが水びたしの憂き目にあった。
1度目は部屋が水びたし、移った部屋では天井から雨漏り。
先日、3度目の引越(?)でようやく元の部屋に戻れた。

1ヶ月もたたないうちに水難で部屋を3回移動したなかなかの境遇に、グチをこぼすことなく
「もー大変だったの! あっはっは」と笑う、たくましい女性だ。

少し前に、3度目の船内引越しを終えた彼女に誘われたゆきちゃんと私の二人で、彼女の部屋のバルコニーでお酒を飲みながら星を眺めたことがあった。

福岡県で多品目の野菜を育てている農家のマコちゃんは、神戸港から船に乗った。
二十歳そこそこで、いとこと「結婚させられ」、ゼロイチから農地を耕し、農業と育児に明け暮れた。
長年つれそった夫を5年前に亡くし、一人で船旅に参加した。

マコちゃんの部屋から眺めるスエズ運河、航行するのは今日一日だけ。
でもでもでもエジプトで送るつもりの、データ準備が終わっていない。

スエズ運河とパソコン画面、どっちを眺めるのさ。
うなる私に、ゆきちゃんが「マコちゃんの部屋で仕事させてもらったら?」と提案。
マコちゃんの部屋にMacBookAirを持って行き、エジプトに上陸する夕方の時間まで仕事させてもらうことにした。
中途半端だけど、パソコンから顔をあげたときに外の景色をすこしでも眺めたいんだよう。

「船旅しながら仕事してます」と言いたくて始めたこと。
その実、優越感と、エゴと、挑戦が溶けている。

オンとオフの区別がつけづらい環境に身を置いたのも自分だ。
決めちゃったもんだから、しゃあない。
私の部屋は四方の壁を鉄板で囲まれているので、ネットは100%つながらない。
バルコニーの近くだと陸地のWi-Fiを拾えるかもしれない。
それで、マコちゃんの部屋で少し仕事をさせてもらった。

マコちゃんの部屋でWi-Fiをつなぐ。
つながり・・・そうで、・・・・・・つながらない。
陸地が近いから、たくさんの人が回線を使っているようだ。
しかたなくオフラインでできる作業を少しやった。

それでも、スエズ運河を航行している様子がバルコニーから見えるのは壮観だ。

窓を流れる風景が、砂漠から街に変わっていく。

窓を流れていた風景が、完全に止まった。
ポートサイド港に着いた。

午後4時、パスポートを受け取りに行く。
寄港地によってはパスポートの携帯が義務づけられる国があり、預けていたパスポートを受け取る手続きをふむ。
パスポートのコピーの携帯でOKな国もある。

エジプトは、上陸中のパスポート携帯が必須らしい。

しばらくして、上陸許可がおりたと案内が流れた。

エジプトの滞在は明日まで。実質1日半。
エジプトといえば、ピラミッド。
の、ピラミッドがあるギザ地区は、港から車で3時間半の距離だ。

なので、翌日のツアーに申し込んでいる人も多い。
ツアーバスで往復8時間のハードめなスケジュール、しかも途中トイレ休憩なし。
移動の体力や体調が心配な人は、空路を使ったツアー(飛行機なのでバスの何倍も高い)に参加するか、ピラミッドに行かずにポートサイドの街で過ごすこともできる。

私も、ゆきちゃんも、マコちゃんも、翌朝ピラミッドに行くバスツアーに申し込んでいた。

明日のツアー出発は朝5時半と早いので、今日は日が落ちるまで数時間だけ港の周りで過ごして、夜は早めに寝て明日の長距離移動のツアーに備えよう、そう考えている人も多いようだ。

私は、この旅で初めてのオプショナルツアー参加となる。

これまでずっと自由行動で、Wi-Fiクエストだの迷子だのと自由にできたけれど、明日はそうもいかない。
明日向かうのは、港から300km離れた砂漠だ。
Wi-Fi求めてツアーからはぐれたら、帰船リミットの夜8時までに一人で帰れる自信はない。
アラビア語を話せたところで、知人もおらず文化も風習も慣習も知らない軍事政権の国。
ネットがつながらないからハードモードすぎる。
しかもアラビア語は話せない。

ピラミッド周辺でWi-Fi探すつもりはなく、パソコンは持っていかない。
そもそも砂漠の砂はとても細かく、電子機器類に砂が入りこみ壊れる可能性がある。
明日5月12日の必需品は、水と日焼け止めと帽子。

というわけで、初日11日の夕方から日暮れまでの数時間が、寄港地エジプトで与えられたお仕事タイムだ。

午後5時半に、下船した。

地図によれば、港の近くにきれいな公園があるらしい。
公園まで散歩して街をちょっとぶらついて帰るという、ゆきちゃんとCさんと、3人で一緒に港に降りたつ。

「さよはWi-Fiつながる店を探すんやろ?」
「そう」
「じゃあ、そこまで一緒に行こか」

港の前の広場がにぎわっている。
地元の人も観光客も多い。
子どもたちがローラースケートを履いてスイスイ滑っている。
そぞろ歩いている家族づれや、観光客相手の露天商もたくさん。

特に貧しそうな身なりでもなく、学校にも通っていそうな子どもが私に近づいて「ワンダラー」と声をかけてきた。
内心おどろきながら「ノー」と断る。
あっそう、とアッサリ引き下がり、すたすたと次の観光客にアプローチする少年。

広場を抜けるまでに数人の子どもが「ワンダラー」と、カジュアルに物乞いしてきた。

その日の暮らしに事欠きそうな、悲壮な雰囲気の物乞いもいるのだが、彼らの言葉と行動を真似しているのか、ワンダラーと言う子どもは「もらえたらラッキー」なくらいのカジュアルな「なんちゃって物乞い(があるのか知らないが)」にも見える。

三輪車を乗る三兄弟、目が合うとにっこり笑う。かわいい。
で、お兄ちゃんが「ワンダラー」と言う。
じとっとした暗さを感じない物乞いキッズを前に、どっちつかずの複雑な気持ちになる。

もらえたらラッキー、ダメでもともと、とりあえず言っとこ。

なのか。どうなんだろ。

見た目でも判断するし、見えない空気でも判断する。
判断し、決めて、行動する。

その日たまたま遭遇した出来事がはじいた感覚や、「かもしれない」仮説が、実際のところどうなのか。
滞在期間1日かそこらで、その判断の答え合わせする間もなく次の土地へ向かうのが、今回の「旅散らかし」スタイルだ。
前回のスリランカでも、それを学んだ。

レストランのビュッフェのように、寄港地をつまんでいく地球一周の旅を終えた後、ある一つの国に惹かれて、その地へピンポイントで訪れる人もいる。

17年前に地球一周したとき知り合った佐賀から参加した女性は、トルコに夢中になり、船を降りたあとに再び行くと言っていた。
たった2日間のイスタンブール寄港が、その後の彼女を数年間トルコ語教室とトルココーヒーを学ばせるほどに。

今回、「港近くのピザ屋でWi-Fiが使えます」と船のスタッフYさんから有力情報を得ていた。

「港の前を歩いて2分くらい、左側にありますよ」

たしかに歩いてしばらくも経たないうちに、ピザ屋の看板が見えた。やった。

「ほんとにWi-Fi使えるか、念のため確認した方がええよ」

と、ゆきちゃん。
えー、大丈夫だって言ってたし・・・
ベテランスタッフから直接きいた情報だし・・・
と、ためらう私をよそに、店の前にいた店員らしき男性にさっさと声をかけた。

指で店内を指して「Wi-Fi?」とゆきちゃん。
店員は首を振った。

「ノー? ワイファイ?」

表情とジェスチャーとカタカナで、コミュニケーションする彼女。
ちゃんとした英語で、とためらう時間はムダだと思っているふしがある。
彼女はほぼ英語が話せないが、意思を伝えるまっすぐな力を持っている。
退職して船に乗る直前まで、部下200人を束ねていた営業部長のまっすぐな意図は、英語圏だろうがアラビア語圏だろうが、相手に届きやすいのだろう。

ゆきちゃんが私たちに向き直って言った。

「ここ、Wi-Fiないんやって」

「違うピザ屋なのかな。でもこの辺にピザ屋はないね」
「まあ、変わってるかもしれん」
「3年前の情報だし、コロナもあったし、居抜きで違うピザ屋になったのかも」
「そうやな」
「訊いてくれてありがとう」
「もうなぁ、何も信じられん。自分で確かめたが一番ええわ」

そうなのだ。
他人からキャッチする情報は、憶測と希望的観測とデマと古い情報がごちゃ混ぜになっている。

それを数回体験したゆきちゃんは、「話が違うじゃないですか!」と暗いエネルギーで情報提供者を責める代わりに、
「他人に期待したらあかん」と、合理的に解決するほうへエネルギーを使うことにしたようだ。

実際、怒りのエネルギーを他者へぶつけつづけて疲れた表情の乗客たちに比べて、ゆきちゃんは若々しい。
ピースボートスタッフがくれた情報は、コロナで断絶される前のもの。

状況が変わるのに3年はじゅうぶんな期間だ。

再び、Wi-Fiがあるカフェを探して、港の前の通りを歩いてみる。

道路沿いに、小さなカフェがあった。
外のテーブル席に客が一人だけ。
店内は明かりもなく、しんとしている。

コーヒーもなさそうだし、うす暗いし、長居できそうな空気じゃない・・・
ここでパソコンを広げて仕事するイメージが湧かない。

しかしゆきちゃんがさっさと店内に入り、Wi-Fiが使えることを確認する。
使えるらしい。

「いけるってよ」

ありがとうゆきちゃん! 
ありがたいけどうれしくない。

店の雰囲気にひきつり気味の私にかまわず、ゆきちゃんは店の外に出た。

「じゃあ私ら行くから。大丈夫?」
「だ、いじょうぶ」
「今日の日没は7時半だから、暗くなる前に帰りなよ」

ありがとう。
ただいま午後6時。

二人に手を振って店内に戻り、レジにいる男性二人にWi-Fiパスワードを聞いた。
店員さんがなにごとか言う。わからない。
彼らのアラビア語なまりの英語が聞き取りにくい。
向こうもきっと、私の日本語なまりの英語が聞き取りにくい。

やっと、この店のWi-Fiは無料じゃないとわかった。
Wi-Fiサービスを購入するシステムらしい。

何か注文してね、とメニュー表を示される。
アラビア語読めません。

「英語のメニューはありますか?」

彼らが首を振る。
それだけでもう、観光客向けの店ではないとうかがえる。

大丈夫かここで?

黒々としたヒゲの男性が、ソフトドリンクの入ったガラスケースを指差すので、ピーチ味の炭酸飲料の缶を一本とりだしてレジへ。

いくら?
聞き取れない。
わかってない顔をする私に、二人は顔を見合わせる。
二人は苦笑しながら、アラビア語で何かを話し、私に向かって説明をがんばる。

「15L.E」

あ、15ね。私がうなずく。相手もうなずく。
エジプトの通貨はL.E(エジプシャン・ポンド)。

両替まだだった。
ドルで払えるか訊いて紙幣を見せるとうなずく。
よかった。

15L.Eって、えーと、ドルでいくらだ?

「???」
為替レートをテンパった状態の私が理解するのに、また時間がかかる。

ヒゲの男性が根気強く、一つ一つ、表現を変えながら教えてくれた。

15たす、2は、17だよ。
エジプシャン・ポンドで、17、だよ。
ドリンクが、15、L.Eだよ。
Wi-Fiが、2、L.Eだよ。
1ドルで払ったら、おつりは、13L.Eだよ。

二人は、やっとのことでこのアジア人にわかってもらえた、という表情。

冷えたジュースの缶と、Wi-Fiのパスコードが書かれた切符サイズの紙切れを手に、席に着いた。
カフェ奥の席は暗いので、入り口に近いテーブル席に座った。
どのテーブルにも、灰皿が伏せて置いてある。

ジュースを一口飲んだら、砂漠みたいな脳みそが一瞬で糖分を吸い上げていった。
はあ。
仕事なんもしてないのに、すでに汗びっしょり。

落ち着いて考えればなんてことはなくて、
1ドル = 30L.E、
ジュース:15L.E、
Wi-Fi:2L.E、で、30-17=13。
テンパると算数もおぼつかない。

落ち着きを取り戻そう。

リュックからパソコンを取り出して開く。
レジと厨房から、珍客に向けられる視線を感じる。
スマホでWi-Fiつなぐのかと思ったらあの人ここで何すんだ・・・という顔かどうかは見てないのでわからないが、もうどうでもいい。

Wi-Fi接続料に2L.Eを払って受け取ったのは、2cm×4cmほどの小さな紙切れ。
昔の電車の切符みたい。
パスコードの数字が印刷されており、数字を入力してアクセスすればいいらしい。

入力画面はぜんぶアラビア語だが、どこか見慣れた画面。
マニラでもバリでもシンガポールでも見かけた、インターネットにつながる小さな小窓。
小窓にパスコードを打ち込み、ボタンらしき表示(読めない)をタップするとネットにつながった。

速度は遅いけど、船のWi-Fiよりはいい。
寄港地でさばききれないまま溜まった画像などのデータを、引き続きアップしていく。

と、ネット表示が途中で動かなくなった。
ちっとも進まない。
店員さんにネットがつながらないことを伝えると、終了したとのこと。
どういうことだ??

相手の説明をがんばって聞く。
ついでに名前を訊く。ムハンマド。
ムハンマドも、がんばって私に説明する。

・2L.EのWi-Fi接続料は「500MB」まで。
・それ以上のデータをやり取りする場合、再びパスコード付きのチケットを買わないといけない。

私が入った店のWi-Fiサービス利用は、そういうシステムなのだとようやく理解した。
エジプトのWi-Fi利用方法がそうなのか知らないが、少なくともこの店はそうなのだ。

・・・新しいパターン!

画像データをアップするうち早々に上限の500MBに達したのか。20分で。
って、このシステムは今回の船旅で使ってるグローバルWi-Fi(上限500MB)と同じだ。
上限に達したとたんにネットが固まり、何もできなくなる。

上限があるのは想定外だが、そういう仕組みならしかたない。
Wi-Fiチケットを2枚、追加して買った。
手に入れた小さなチケットを手に、新しいパスコードを入力して、ネットに再接続。

データをアップ、アップ、アップ、止まる。
はい終了。

次のチケットのパスコードを入力して、データのアップの続き、アップ、アップ。
はい終了。

こんにゃろ。
Wi-Fiチケットを追加で5枚まとめて買った。
財布を取り出す私に、同情した表情の別の店員さんが、お金は後でいいよ、と、笑って手のひらを見せた。

名前を訊くと、カファと聞こえた。カファさん。
立派なヒゲに威厳がただようが、彼らの物腰や肌の感じからすると20代後半から30代前半くらいかもしれない。
「シュクラン」手を合わせてお礼を言った。

アラビア語の「ありがとう」を教わったのは17年前、トルコでのことだ。
同じくトルコを旅行中だったモロッコ人が、私に「シュクラン」を教えてくれたっけ。

カファは「アッフワン(どういたしまして)」と私に微笑み返して、席を離れた。

その後も、データ量の多さに、はかなく消えていく500MB。
追加でチケットを購入する私。
印刷されたチケットを、枚数分ちぎっては手渡すカファ。

しだいに、パソコンの周りにチケットの紙片が積み重なっていく。

インターネットの小さな火を灯して、はかないデータの夢を見る。
マッチ売りの少女の気分になってきた。
気づけば外も暗くなってきている。

カフェの名前は、アリババ・カフェ。
アラビアンナイトにマッチ使い切って凍えてしまうんだろうか。
設定がいろいろおかしい。

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