【アイスランド編2】リラックス、がんばります!

朝7時半、アイスランドの首都レイキャビクに入港。

レイキャビク港にも、大型客船が着岸していた。2隻。
春のアイスランドは観光シーズンなのかな。

二日ぶりにネットにつなぐと、アレルからの返信が届いていた。

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まさかウチの階段で、予想外のへんてこな出会いがうれしかった。
チョコレートも本当にありがとう。
僕にとっては、あれはイタリアのチョコレートだよ。
っていうか、どこの国でも正直どっちでもいい。

次の目的地でも、安全な旅を。
あなたの行動は素晴らしいから、自信を持って。
あなたのやりたいことを続けて。

薦めてくれた本も読んでみるよ。

………………………………

「イタリアで買ったチョコレート」と、あの夜アレルに言ったのは私の勘違いだった。
フランスの、カルフールというスーパーで買ったんだった。

アークレイリで船に戻ってから気づいて、今日のお礼に添えて
「あれはイタリアじゃなくてフランスで買ったチョコだったよ」と訂正のメッセージを送っていた。

どうでもいいけど、と思いながら、どうでもいいことを書きたかった。

旅先で一人でも親切な人に出会うと、その国に親しみを感じやすい。

前からずっとそう思っていた。

20代で初めて一人で海外旅行したシンガポールも、会社の旅行で行ったバリも、友人や家族と行った台湾も。
人との出会いが、国との出会いだ。
だから、訪れる国ではできるだけその土地で暮らす人たちとお話ししたくて、Wi-Fi探しだの口実をつけて話しかけていた。

6月11日の朝7時、レイキャビク港に船が入った。
レイキャビクは翌12日の夕方まで、2日間の滞在だ。

だけど、この土地ではどんな出会いがあるだろう、と、いつものように思えなかった。

誰とも話したくなかった。

私の内側にいる、もう一人の私の声が、最近、小さい。
あまり元気がない。

誰かに会えば、条件反射で笑顔をつくる。
船でも陸でも「元気?」と聞かれれば、条件反射で「元気」と答える。
ほんとかよ。

アウトプットしすぎたのかもしれない。

インプット過多は、頭でっかちになる。
アウトプット過多は、自分を見失う。

誰とも話したくない。

港から町の中心地まで約4km。
無料シャトルバスに乗って10分ほどで、降車場のHarpa コンサートホールへ着いた。

今日は、誰とも、いいや。

町歩き。

うす曇りの空が、今日の自分にちょうどいい。
晴れた天気はたまに、アスファルトミミズみたいに干からびそうになる。

ハットルグリムス教会へ向かう。
町のシンボルだそうだ。
地図を見なくても見上げれば居場所を教えてくれる。

町が小さいと、ほっとする。
目があちこち行きたがって浮つく私を、「まあ落ち着いて」と物理的におさめてくれる。
ちんまり。

とはいえ、小さいから影響力も小さいわけではない。
エジプトの人たちが、それを教えてくれた。

アイスランドのアートが豊かなこと、洗練と自然という一見相反する状態が融け合った不思議な国。

そうなんだよ、せかせか歩くのは好きじゃなかったんだったった。

ここのところ私の旅は、どこかスタンプラリーになっていないか?
本や他人の「オススメ」アンテナが、自分の「好きか嫌いか」アンテナより幅をきかせてないか。
雑音をかき集めてないか。

なんだか頭がぼーっとする。

旅にも緩急がある。
寄港地すべてで、体験を味わい尽くして、濃密に過ごさなくていい。

体験のフルコースばかりだと疲れる。
お茶漬けが食べたいときもある。
なんなら白湯がいい。
何も消化したくない。

レイキャビクは「世界最北の首都」だそうだ。
ちなみにロングイェールビーンは「世界最北の町」。

ふーん、へー、そーなんだ。
「世界で最も〇〇」のタグづけ、どーでもいいや。

レイキャビクは、ぼーっとしよう。
画像と動画のアップをすませたら、観光スポットのスタンプラリーから降りよう。

アイスランドも、春。

町のあちこちにキックスケーターが置きっぱなし。
駐輪場は見当たらないし、どこにもつながれていない。
どういうシステムなんだろう。
少なくとも治安がいいのはわかる。

メインストリートに差し掛かると、バンド仲間の20代の女の子に会った。
ノルウェーで買ったばかりというベージュのニット帽がよく似合っている。
全体的にミルクティーみたいなコーディネートだ。
かわいい。

彼女から「途中まで一緒に行きませんか?」と誘われ、私の内側に耳をすますが、なんにも聞こえない。
それなら無理にイエスもノーも言わないでおく。
あいまいに笑って、そのままなんとなく彼女と一緒に歩く。
彼女もそれについて何も言わない。
これも流れ。

ノルウェーに入ったあたりから、ずっと感じていたのは、窓際の装飾がほんとうに素敵なこと。

センスを畳みかけてくるような圧の感じる飾りではない。
なのに、おしゃれ。

カーテンやブラインド、植木などで、外からの視界をさえぎる日本の窓とはずいぶん違う。
窓のカーテンが、そもそも引かれていないのだ。

窓の向こうを注視すれば、テーブルで本を読んでいる姿が、見える。
部屋の中でくつろいでテレビを見ている姿すら、見える。

華美ではない。
力みもない。
こびも感じない。

宝箱から好きなものを出して窓際に並べたら、いつでも眺められるでしょう。

そんな声が聞こえてきそうな、家の住人の価値観が反映された窓は、オンダールスネスでも、トロムソでも、アークレイリでも見られた。
ここアイスランドもそうだ。
不必要なお金をかけない、窓枠サイズのアート。

豊かさは、こういう細部に宿るんだ。

家の窓がおしゃれな国は、店のディスプレイも素敵。

アークレイリでも壁画アートが楽しかった。
ここ、レイキャビクでも。

アイスランドで一番高い建物、ハットルグリムス教会が見えてきた。
アークレイリ教会を手がけた設計士と同じらしい。

中に入ってみる。
展望エリアのみ有料らしい。

中は、外観と同じコンクリート色。
鮮やかな装飾はなく、行間の多い詩みたいな削ぎ落とされた空間だ。

教会を出て、町歩き。

「信号かわいい!」とニット帽の彼女。

髪をふたつ結びにした女の子が、とおせんぼするSTOP
はい進みましょ、と女の子が、歩きだすGO。
かわいい。

業務用スーパーのチェーン店「BONUS」のトレードマークのブタは、かわ・・・味のある顔。

物価の高いアイスランドで、BONUSは比較的安い品揃えらしい。
コストカットの反映か、パッケージや陳列も簡素でシンプル。

冷蔵室(室内がまるごと冷蔵庫になっている)の中には、サメがいた。

レジはセルフ会計と、店員のいるレジの2種類があり、選べる。

メイン通りのロイガヴァーグル通りのおしまいまでなんとなく歩き、折り返す。

インフォメーションセンターを見つけたので、中に入ってみた。
より詳細な地図と、立派なガイドブック(分厚く、フルカラーで、上質の紙質)をもらう。

ニット帽の彼女は現地のツアーに申し込みたいらしく、英語で受付女性に尋ねている。
私たちのほかに客はほとんどいない。
奥には無人のソファセットがあり、アイスランドの地図がかかっている。
音楽もかかっていない、静かな場所。

と、Wi-Fiがつながるのに気づいた。

ここでデータアップさせてもらおう。
ソファに座り、Macを取り出す。

ネットにつなぐと、日本のスタッフから連絡がいくつか届いていた。
ネット環境とびとびの私の依頼を、いつも頼もしく対応してくれる。ありがたい。
返信し、別件の指示を依頼して、大量のデータを同期する。

寄港地に一つ訪れるたび、撮りまくったつもりじゃなくても写真と動画がどっちゃり増える。
今回も数百件のファイルが溜まっていた。

ニット帽の彼女は次のインフォメーションセンターに向かうと行って、席をたった。
一人ソファに残る。
ひざの上にはノート、テーブルの上にはMac。

かならず一人で動くと、決めているわけではない。

けれど旅行先では一人行動になりがちだ。
理由は、限られた滞在時間で「仕事する」私と、他の人の「観光する」予定を揃えにくいから。
それと、そもそも、集団行動が得意でないから。

私の心が立ち止まる場所を、他の人は焦点を合わせず先に行く。
他の人が足を止める場所に、私の心はあまり動かない。

それで、はぐれがちになる。
たまにさびしい、だいたい幸せ。

データの同期が終わった。

散歩再開。

ベンチを見つけて座り、水筒の水を飲む。
船から持ってきたパンをかじる。

さっきもらった地図とガイドブックを広げた。
地域の観光案内とは別に、博物館や美術館情報だけで分厚いガイドブックが一冊。
文化への意識や関心があたりまえに高いのだと、ガイドブックの編集や構成に感じる。

気になる博物館にぜんぶ行く時間はない。
かといって段取りサクサク・効率的なスタンプラリー観光は性に合わない。
気になったところから、足が向くまま行く。

気になる博物館に向かう途中の歩道に、出っ張りがあった。
透明のアクリル水槽をひっくり返したような形。
逆さ水槽をのぞきこむと、地下に土とゴロゴロの岩が見えた。

博物館「レイキャビク871±2」へ。
871±2という名前は、アイスランド最古の遺構が発見された地質年代に由来しているらしい。
考古学に強い興味はないけれど、なんとなく気になって中へ。

発掘現場を再現した展示になっている。

天窓の明かりが集まっているエリアがあり、見上げた。
あ。
さっきの逆さ水槽は、地下の館内展示を、地上から一部だけ魅せる演出だったのか。
地上には何の説明もなかった。
なんてカッコいい展示なんだ。

地下のうす暗い館内に、浮かび上がったパネル展示が動く。
見る側の想像力を信頼するように、過剰な表現説明がない。
当時の人たちの暮らしをうかがわせる動画部分に、ぐっと引き込まれる。

当時めずらしい機械をじっと見つめる、今はいない人たち。
知らない懐かしい人に再会して泣きたくなる。

土と草でできた家が、トロムソの大学構内で見たものに似ていた。
国が近いので生活スタイルも共通するのかもしれない。
とか勝手に想像しながら、ゆるゆる歩いて見て回った。

説明文はアイスランド語と英語の併記だが、全部は読めないのでかえって先入観がない。
答え合わせはしない、調べものはしない。目的が違う。
ただ、アイスランドの歴史を知らない私にも懐かしさを分けてくれる空間。

時間を気にしないで、居たいだけ居てみた。
小さな売店を通り抜け、入口とは違うところから外に出ると、ここにも壁画アート。
道路に停めてある自転車まで、なんかこう、いちいちおしゃれ。

おしゃれさんの自覚があるのか知らないけど、服も、まとう雰囲気も洗練された人がいますよね、あれです。

散歩再開。

海の近くの美術館。外観が包装紙みたい。

美術館の中から見た外。

散歩再開。

お土産物屋さんの前で、元船長の狭間さんにばったり会った。
船乗り歴の長い彼は、かつて海賊に2回襲われたことがあるそうだ。
狭間さんの講座「航海の雑学」は面白い。

レイキャビクには7回訪れたそうだ。
いろんな人生の日常があるもんだ。

「くるみ割り器を探しててね」

そんなおしゃれなセリフ言ったことない。

せっかくなので一緒に写真を撮らせてもらった。

散歩再開。

地図上にあった、ひょうたんみたいに長い湖チョトルニン湖へ。

湖のそばのベンチで休憩。
どこの芝生も青々としている。
スニーカーを脱いで、しげじいのくつ下に風を通す。

散歩再開。
湖に沿って歩く。

湖から10分歩くと、アイスランド国立博物館。
閉館前で入口までしか入れず。いいんですぅー。

一人で博物館めぐりをしていたら、船の外国人スタッフの方とばったり会う。
あちこちの施設を巡れるワンディパスをネットで購入して、5つほど博物館を見てきたそうだ。

町に戻るまで、一緒に歩きながら話をした。

遠くにハットルグリムス教会が見えて、私が思っていたより遠くまできたんだ、と思う。

スタッフさんは、理想100%で乗った船での仕事に違和感をおぼえているという。
船に乗って、想像以上に仕事に拘束される不自由さを体感し、理想50%、失望50%に変化したらしい。

「いろいろ納得いかないことも多いけど、乗ってよかったとは、思ってます」

手が届かないあいだ、夢は甘くふくらんだ理想でできている。
手に入れたからこそわかる、夢の手ざわりと重さ。

船を降りたら、陸での仕事を探すそうだ。

「また、船で!」

町でスタッフさんと別れて、お腹が減っているのに気づいた。
通り沿いの、スカンジナビア料理レストランに入ってみる。

メニューの「herring」はニシン。
1ページ目がニシン料理ばかりで、どうやらおすすめらしい。

マスタードとモルトウィスキーのソースがかかった酢漬けのニシンを注文。

美味しい。
追加のご注文は?と聞かれたが、このくらいがちょうどよかった。

日本円で2,200円くらい。

この店もWi-Fiつながるし、追加の画像をアップしようかな。

よぎった思いは、一輪挿しのバラと目が合うと消えた。

ゆっくりしよう。
ただ食べて、この空間を味わおう。

ごちそうさまでした。

散歩再開。

あてもなくロイガヴァーグル通りに戻ると、ゆきちゃんとばったり。
大自然の滝や間欠泉をめぐるオプショナルツアーを終えて、時間があったので町まで出てきたそうだ。

なんとなく一緒に歩いて、さっきの教会へ。

さっきは気づかなかったが、教会の前にブランコがあった。
五角形に柱が組み立てられた、5人いっぺんに乗れるブランコ。面白い形。
旅行者たちがブランコを揺らして、子どものように笑っている。

「乗ってみよか」

ブランコの背景が、荘厳。

イタリアからの旅行者の男性が陽気に足をぶん上げる。ガニ股で。
カップルらしき女性も思いきり足を振り上げて体を反らす。
楽しそうな二人を見ていたら、くつくつ笑えてきた。
子どもみたいで笑える。子どもなんだ。

「息を合わせてブランコ漕ごう!」と誰かが提案する。

大の大人5人で、
いっせーの、せ!(的な掛け声で)勢いよく漕いだ。

人生の数分をブランコに揺られて一緒に過ごす。
互いの名前も知らない者どうしが、同時に童心に帰る。
やっぱりブランコ偉大だわ。発明した人すごいわ。

「Have a nice trip!」
「You too!」

時間は夜の8時を回っている。
白夜の曇り空は夕方みたい。

船に戻る途中、二人でホフディ・ハウスを経由して帰った。
1986年10月、冷戦を終わらせるきっかけとなるレーガン大統領とゴルバチョフ書記長が対話した場所は、海沿いの美しい芝生の広場に、いっさいの柵も囲いもなく建っていた。
中には入れないが、窓から中を覗くと小さな白いキッチンが見えた。

そろそろ帰ろうか。

現在地は、シャトルバス乗り場と、停泊した船のちょうど真ん中あたり。
だったら歩こう。

船まで3kmの道のりを、海風に吹かれて二人歩いて帰った。

レイキャビク2日目。

午後から露天温泉に行くツアーへ。

ツアーバスで港から20分ほど移動し、スカイラグーンという、新しいスパ施設へ向かう。
海に向かって天然の温泉が湧いている。
昨日博物館で見たような、岩や芝生など自然物を上手に融合させた建物だ。

湯温は38~39℃ほどのあたたかさ。
中にはアルコールを提供するバーがあり、湯につかったまま注文できる。

水着着用で混浴なので、スマホを持ち込み撮影している人たちがいたが、私はスマホを持たずに入った。

ゆるんでほどけたがる心や体を「記事のための撮影」の緊張で引き締めさせたくなかった。

写真に残らなくても、気持ちよかったと憶えていればいい。
まあ、忘れても、いいや。

ごつごつした岩に囲まれたたっぷりの湯につかる。あたたかい。
水深は1.2メートルほど。
温泉の大きさがわからないが、とても大きいことはわかる。
湯気がほわほわ、あたりをつつんでいる。

そそり立つ岩で曲がりくねった場所をゆっくり進むと、ふわりと視界が、開けた。
目の前にグレーの海が広がっていた。

ゆきちゃんと、岩のふちに両腕を乗せ、あごを置いて、ぼけーっと海を眺めた。

「気持ちええなあ」
「ええなあ」

言葉の出番が少なくなる。

「こういう時間、ほんと、大切」
「そやな」

ゆきちゃんがうなずいた。

「私も、さよも、頑張りすぎるところがあるからな」

船旅は特別だから、
人生は一度きりだから、
出会いは一期一会だから、
この時間は二度とないから、
せっかくの時間を楽しまないと。

なのに。なのに。
時間が足りない。

「楽しむこと」まで、スタンプラリーにしていた。
課せられたノルマみたいに、空白を満たさなければならないと。

それではまるで「リラックス、がんばります!」だ。
ゆるめようと緊張するなんて、あべこべだ。

アイスランドの曇った空の下、ハットルグリムス教会のコンクリートに似た、うす曇り色の海。
目を刺す日差しは、雲の後ろに隠れている。

晴れてきらめくポスターみたいな海じゃなくて、よかった。

岩場の端には小さな建物があり、中に入ると「7つの儀式」と称されたリラクゼーションを受けられる。
冷水浴、サウナ、ミストシャワー、アロマオイル入りの塩の揉み込み、ミストサウナ、シャワー、と一つ一つのステップを順路に沿って、自分たちのペースで進めていく。

旅行者の女性
「冷水にどれくらい浸かればいいの?」

係の人
「いたいだけ、どうぞ」

旅行者の男性
「サウナはどれくらい入ればいいの?」

係の人
「いたいだけ、どうぞ」

7つの儀式を終えると、全身が、ふっかふかの、つっるつるになった。
すっべすべの、ほっかほかになった。
ゆきちゃんや、他のツアー客もふんわかほんわか、ニコニコ。

60日間シャワー生活だった私たちにとって、温泉は至福の極みだった。
目の前に広がる海を眺めながら、水平線と並行にできた温泉で、湯気と一緒にたゆたう。
湯につかりながら飲んだミックスジュースがしみるほど美味しかった。

世界中のみんながこの湯につかれば、争い事はなくなるのに。
そう思うほど平穏な場所だった。

私たちが参加したのは4時間ほどの短いツアーで、スパのあとは町へ。

昨日ブランコで遊んだ教会の近くで、バスは停まった。
ほとんどの人が、ツアーバスの運転手に気を払うことなく無言で降りていく。

バスの乗客の誰からも声がかからない運転手はハンドルを握って、降車するツアー客を眺めている。

バスを降りぎわに、運転手の男性に「ありがとう」と言うと、彼は目を細めて私を見て「いってらっしゃい」と微笑んだ。

ゆきちゃんに、一人で散歩したいと伝えて別行動に。

誰にも、なににも、気を使わずに。
お風呂上がりのぼんやりほんわりを、思考で上書きしたくなかった。

昨日、通りがかった土産物屋さんで見かけて、気になっていたパーカを買う。
真ん中に猫。
アークレイリで遊んだ真夜中の猫に似ている。

試着したら、ほんわりした体になじんだので、着たままレジに行った。

「このまま着ていきたいです」

店員さんが笑った。私も笑った。
服のタグを引っ張って切ってもらい、会計して、店の外にでた。

店の前で、同じく一人で散歩していたヨーロッパ系の旅行者に写真を撮ってもらう。

ツアーバスに戻る。
バスのタラップを上って運転手さんに声をかける。
きみどり色の素敵な蝶ネクタイを締めた、70代くらいの男性。
サンタクロース姿が似合いそう。

「すごくいい顔してるね。楽しかったんだね」

と、ゆったりした笑顔で教えてくれた。

乗客が戻るまでの時間、運転席の隣でおしゃべりをする。
アイスランド出身の彼は、孫が二人、広島にいるそうだ。

「日本にはまだ行ったことがないけど、いつか孫に会いたいよ。
ほんとうにほんとうに愛しくて、美しい存在なんだ」

2歳と3歳の、孫の写真を見せてくれた。
運転手さんの幸せな表情が私の目に映る。
二人でスマホを見て笑っていると、バス運転手の存在に初めて気づいたように他の乗客たちが彼の手にしたスマホ画像を見て「あー、かわいい!」と笑顔になった。
ちょうど、同じくらいの孫がいそうな女性や男性たち。

「広島の山の方に住んでいるんだ。
とても美しい子たちでしょう」

彼の運転するバスに揺られながら、私の内側にそうっと訊いてみた。

楽しかった?

(楽しかった)

誰かと一緒にいても、一人でいても、私はリラックスするのが下手だ。

リラックスしようとして頑張ってしまう、あべこべなところがある。
そんな私だから「書く瞑想ワークショップ」を海の上で始めたのかもしれない。

『価値を提供しなければ、』と思ってしまう。

『役に立たなければ、』と頑張ってしまう。

それらの動機をたどれば、あとに続くのはこんな言葉だ。

『価値を提供しなければ、私は存在してはならない』

『役に立たなければ、私はここにいてはならない』

一見うつくしい貢献欲は、私のなかに潜む「恐れ」から生まれていた。

ピースボートが見えてきた。

IDカードを通して、5階の舷門から11階まで上がり、窓のない懐かしい部屋に帰りつく。
ただいま。

ずっとここには居られないけど、私はこの部屋が好きだ。
バルコニー付きの部屋に引っ越しできたとしても、船を下りるまでここがいいです。
スニーカーを脱いでサンダルに履きかえた。

恐れから生まれた『役に立たなければ、』じゃない。
愛から生まれる『役に立ちたい。』だ。

愛を動機に役に立ちたいなら、そうしたらいい。

それでいて、私は、役に立たなくていい。
なんの価値も、提供しなくていい。

生きているだけでいい。

それを毎日、少しずつ、自分に教えていこう。

(こんなに楽しんでいいのかな。悪いな <誰に?> )

楽しむことに罪悪感を感じるのが、私の習い性になっている。

ならば、毎日、少しずつ、くりかえし教えよう。

楽しんでいいんだよ。
もちろん、悲しんでもいい。

大切なことを、何度でも伝えよう。
くりかえしは、学びの基本だ。
あまりにも当たり前な基本を、私たちはすぐにおろそかにしてしまうから。

楽しんでいいよ。
悲しんでいいよ。
笑っていいよ。
いろんな涙を流していいよ。
役に立っても立たなくても、私はあなたを愛している。

夜、今日撮った画像の整理をしていたら、露天温泉の館内で撮った壁が私に語りかけた。

Slow down, savour the here and now

(ゆっくり、今ここを味わおう)

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