【洋上日記】2023年5月23日 船旅47日目 生きてるって運だ

気温 17℃、海水温 16℃
横浜港からの距離 13588マイル
波の高さ 7フィート

朝から体調はよくなかった。
ルームサービスのノックの音に気づかないほど。
頭痛と目の痛み、眠気と、首のコリ。
生理前などホルモンバランスが乱高下したときの状態に似ている。
いつもよりコーヒーが苦く感じる。

スペインの海をぐるりと大西洋に出た船は、ポルトガル西側の海を北上中。
海は荒れているようだ。
部屋がきしんで揺れている。
外の様子は部屋からはわからない。

リュックにパソコンを入れて部屋を出る。
14階のデッキ後方の丸いソファに座った。
外の風にすこしあたりたい。

たしかに風が強かった。
開いたノートがバララララとはためく。
風がつめたく、デッキに出ている人もまばらだ。

外の空気を吸えば頭痛が治るかと思ったけれど、鈍い痛みは取れない。
こんな日はあるものだ。いくらでも。
ホルモンバランスの乱れと自己診断しておく。
頭痛薬はまずのまない。

首をもみながら、目をつぶり、心身をチェックしてみた。

メンタルは大丈夫だ。
もう落ち込んでいない。財布ショックは抜けている。
私の場合、気分が落ちると音楽が聴けなくなるが、そんなこともない。

単に体調がよくないだけだなー、と冷静に観察できている。

昼食をとっていると、ゆきちゃんとばったり会う。

私の顔を見て、
「なんかしんどそうやな」と、ゆきちゃん。
「原稿がたまってる。まだエジプトにいる」
と返すと、「マジか」笑っていた。

夕方から開催される、中国琵琶奏者ティンティンさんコンサートに、一緒に行く約束をした。
それまでに少しでも原稿を進めたい。

北上につれ、外気が冷えてきた。
外での原稿書きはやめて8階の丸いテーブルにつき、パソコンを取り出した。

エジプトの記事が進まない、ピラミッドまで遠い。
2時間ほど原稿を書いた。思ったより進まない。
頭痛、首こり。気持ち悪い。
部屋に戻ろう。

部屋に戻る途中、外の様子が気になった。
さっき、後方デッキにいた時は、歩ける程度の風が吹いていた。
11階の前方デッキで、外の空気を吸って帰ろうと、思った。

前方デッキのドアノブを回したときに、ドアが重い、と感じた。
ドアが開いた瞬間に、体がふっとばされた。

デッキに全身を叩きつけられ、一瞬、目の前が暗くなった。
何が起きたのかわからなかった。

息ができるようになり、デッキにうつ伏せに倒れたまま、顔をあげた。
3mほど前に、強風で止め押さえられて全開になったままのドアが見えた。

ドアを開けた瞬間、重たい扉が風圧で勢いよく全開し、ドアノブを握っていた私の体が、砲丸投げのようにぶん回されて飛んだのだ。
午前中に風に吹かれたときは後方デッキだったため、暴風を真正面からくらわなかっただけだった。
前方デッキと後方デッキで、これほど状況が違うとは。
うつ伏せの体に、巻き上がった海水が雨のように降りかかる。
デッキは潮風でびしょ濡れだ。

打ちつけたショックから感覚が戻ってきて、背中にリュックの重みを感じる。
リュックにはMacが入っている。無事かな。
首に巻いていたスカーフが強風にしぼられ首が苦しくなり、右手ではぎ取って手元のバッグに突っ込む。

暴風にあおられて体が起こせないので、じりじりと少しずつ、両手と両足を体の中心に集める。
風の抵抗を受けにくいよううずくまり、その姿勢のまま、開け放たれたドアの内側へ這い出た。
ドアの内側は、うそのように風がなかった。

部屋にゆっくり歩いて戻り、ゆっくり着替える。
体のあちこちを点検する。
両側の肋骨が痛い。右腕のひじに薄皮一枚の軽いすり傷、左ひざにあざ。
体は動く。頭も打っていない。
この程度ですんだのは幸運だった。護られていると感じる。
着替えてベッドで休んだ。

3時間ほど眠った。午後6時。
コンサートは6時半からだった。

体はすこし痛いけど、動ける。歩ける。メンタルも大丈夫。
約束どおり、夕方からビスタラウンジの中国琵琶のコンサートへ出かける。

コンサートが始まる前、午後の出来事をゆきちゃんに話した。
絶句したあと、「生かされてるよな」と彼女。
ほんとうにそうだと思う。

コンサートが終わり、夜10時過ぎの遅い夕日を7階の窓から眺めた。
雨も風もおさまったようだ。
雲の向こうの夕焼けがやわらかく終わっていくのを、ずっと眺めていた。

生きてるって運だ、と思った。

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