【エジプト編 2】ムーちゃんです
タバコの匂いに、顔をあげた。
外のテーブル席にいた男性客が、水タバコをくゆらせている。
そのまま周りを見渡す。
水タバコをふかしているのは、彼だけじゃなかった。
新しいマッチを擦って(=Wi-Fiパスコードを入力して)、接続に必死になっている間に、あたりがだんだん暗くなってきた。
あちらこちらのテーブルで、客が水タバコをふかす煙が店内にただよっている。
かきあつめた集中力をかき消す大音量の元は、いつの間に点いたテレビのスポーツチャンネル。
フットボールの試合が行われている。
実況キャスターの興奮気味の声が店内に響く。
9割男性。9割ヒゲ。
店内の空気がもうもうと白い。どおりでけむたい。
カオスの燻製マッチ売りの少女。
エジプト ポートサイド情報
- 港から徒歩3分の Alibaba CAFFE(アリババ・カフェ)
- 店内に設置された大きめテレビで、スポーツ観戦が楽しめる
- 営業は夕方からが本番
- 日中の静けさとうってかわり、グッとボリュームを上げたテレビの音で店内がにぎやかな空気に染まる
- イスラム圏のためアルコールの提供はないが、ソフトドリンクや水タバコが好きなだけ楽しめる、地元民に愛されるお店
- クレジットカードは使えないのでご注意を
ということがわかった。
MacBookAirの画面にロックオンしたまま、Wi-Fiチケットでできた小山としかめっつらのアジア人が一人。
場違い感まんさい。
エジプト、ポートサイドの日はとっくに落ちた。
声をかけられてパソコンから顔を上げると、少年が何かを売りに店内に入ってきている。
ごめんけどそれどころじゃないよ。
笑顔をつくる元気もなく首を振る私に、少年は次のテーブルへ行商にいった。
再び、声をかけられる。
カファだった。
私の座っているテーブルを指差し、それから店の奥の空いたテーブルを指差す。
キョトンとする私に、カファはもう一度、奥のテーブルをゆっくり指差した。
「あ、OK。シュクラン」
店の入り口近くのテーブル席は、通りすがりの行商からセールスを受けやすい。
店奥の空いたテーブルへ移動するよう、カファがうながしてくれたのだと気づいた。
リュックとパソコンを手に新しい席につき、カファを見あげる。
「シュクラン」
笑って頭を下げた私に、カファは目を細めて微笑み、接客に戻っていった。
ささやかな親切が、笑うことを思い出させてくれる。
データのアップが、じりじりと時間をかけつつも進む間に、eSIM(イーシム)の設定を、試してみる。
eSIMが設定できれば、寄港地のたびにWi-Fi環境を探さなくても、陸地であれば海外のWi-Fiを自動で拾える。
しかも速度が速い。
ITに詳しい友人から教えてもらい、LINEで遠隔やりとりしながらやってみた。
その間も500MBのマッチは尽き、新しいマッチを擦って、を繰り返す。
結局、データのアップもeSIMの設定も終わらないまま、日付が変わろうとしていた。
らちがあかない。疲れもピークだ、帰ろう。
パソコンを閉じ、ノートをしまう。席を立つ。
テーブルの上に重ねたWi-Fiチケットの枚数を数える。11枚だった。
疲労でかすかすの頭で計算する。
すでに支払った分を差し引くと、追加代金が2×9=18L.E。
手元のエジプシャン・ポンドは紙幣とコインを合わせて9ポンドしかない。
クレジットカードは使えないので、アメリカドルで残りは払おう。
スポーツ観戦や友人との語らいにテーブルを囲む地元客でにぎわう店内をぐるっと見渡し、レジへ向かう。
ムハンマドとカファが私に気づき、近づいてきた。
二人に手持ちの9ポンドを見せ、残りを払おうと財布からドル札を出す。
ムハンマドが「OK、OK」と手で制し、9ポンドだけ私の手から取った。
おどろく私に、穏やかな表情のムハンマド。
彼のとなりで、カファも微笑んだ。
ありがとう。
店の雰囲気からかけ離れた客を、なんであれ、歓迎してくれた二人。
お礼を言って、アリババ・カフェの外に出る。
はあ、疲れた。
暗くなる前に帰りな、と言われて数時間が経過。
日付が変わろうとしていた。
気づけばカフェ以外どこにも行っていない。
このまま帰るの、なんかやだ。
夕食も食べていないけど、ごはんの気分でもない。
甘いもの・・・!!
苦手な作業にカッスカスになった脳みそに、なんか甘いのがほしい。
深夜と思えないほど賑わうアイスクリーム屋さんが、港の近くにあった。
店内に入ると地元のお客さんでぎゅうぎゅう。
エジプトでは、夜遅くまで家族で外食を楽しむのだそうだ。
日付が変わったというのに、子どもも若者も、赤ちゃんも、家族づれでいっぱい。
目の前で店員さんがキビキビと注文を受けたワッフルを焼いては、デコレーションしている。
色とりどりのアイスやワッフルのショーケースを眺める人たちに紛れて、まわらない頭でどれを食べようか眺めていた。
店内でとびかう言葉が、いっこも聞き取れない。
「にほんのかたですか?」
とつぜん理解できた。日本語だ。
振り返ると、体の大きな男性が立っている。
「はい、日本人です」
私がびっくりしたまま言うと、彼がにっこり笑った。
「もしかしてピースボート?」
「はい」
「わたしは、ツアーガイドです」
「明日のピラミッドのツアーですか?」
「そうです。ムスタファといいます。ムーちゃんです」
ムーちゃん!!
「ここのお店はとても人気ですよ。
私はガイドの仕事があるとき、時々ここにきて食べます」
ガイドの仕事が入ると、ポートサイド港の近くのホテルに宿泊して、翌朝のツアーに備えるそうだ。
彼はショーケースを私と一緒に眺めながら、カイロ大学で4年間、日本語を学んだと話した。
ムーちゃんの日本語があまりに自然で、まるでエジプト番組の日本語吹き替え版みたい。
大学での学び以外にも、日本のドラマが好きでよく観ていたという。
「なんのドラマですか?」
「『花より団子』です」
「人気のドラマです。エジプトでやってるんだ・・・誰が好きですか?」
「道明寺が好きです」
ムーちゃんは、俺様キャラの道明寺とは対照的に、親切な笑顔をたたえている。
アイスのショーケースを指して
「私はチョコレートにします」とムーちゃん。
「私もチョコレートにします」と私。見るからに甘そうなやつ。
「一緒ですね」にっこり。
混んだレジで会計するより先に、注文したチョコレートアイスが手渡された。
ひとすくい食べる。
こってりしみいる甘さ。ムーちゃんも美味しそうに食べている。
レジの順番が来た。
しかしクレジットカードは使えず、しかもアメリカドルも使えないという。
エジプシャン・ポンドはマッチで使いきってしまった。
手には受け取ったカップの、チョコレートアイスが溶け始めている。
ムーちゃんと店員が支払い方法を交渉するが、店員は申し訳なさそうに笑って、首を振った。
ムーちゃんはうなずいて、さっさと二人分の会計をすませた。
アメリカドルを出した私に、今度はムーちゃんが首を振った。
「思い出のしるしに」
会ったばかりなのに、おごられてしまった。
アリババ・カフェでも、似たようなことがあった。
あのとき、彼らが何を言ったのか聞き取れなかった。
ムハンマドとカファの微笑みに、ムーちゃんの言葉が重なる。
先月、エジプトの隣国スーダンで内戦が始まった。
民間人を爆撃の盾にし泥沼化した戦いは、長期化の恐れもあるという。
エジプトには徴兵制があるが、片方の親がエジプト国籍でなければ兵役を除外されるという。
エジプトの人たちが誰にでも友好的なわけではないだろう。
私たち観光客が、ピラミッドやスフィンクスにはしゃぐすぐそばに配備されたエジプトの警備車両はものものしく、マシンガンを持った警備員や軍兵が観光地に数多くいる。
数年前には観光バスが攻撃対象となり、死者が出た。
スエズ運河で今日くぐったばかりの大きな橋は、日本とエジプトの友好の橋だ。
かつての日本政府が無償で橋を架けたという。
当時どんな外交が行われていて、今エジプトと日本の関係がどうなっているのか、知らない。
そんな無関心な人間が、会ったばかりの外国人からささやかな歓待を受ける。
仮に、私が日本人だから厚意を受けたのであれば、先人たちがエジプトの人たちへ厚意を行動で示してきたからだろう。
これも時間を超えたペイ・フォワードだ。
明日のピラミッドツアーは、数百人が参加する大がかりなものだ。
ツアーバスだけで14台、加えて観光客を狙うゲリラ対策のツーリストポリス(観光警察)の車両と、長蛇のコンボイ=隊列を組み、一路カイロへ向かう。
ツアーバスのどれかに私が乗り、どれかにムーちゃんが乗る。
「明日のピラミッド、楽しんでくださいね!」
ムーちゃんがニコニコ笑って、ホテルへ戻っていった。
利権やきな臭い話。
キレイゴトを語るためになされる選民。
私が知らない、知ろうとしない歴史のただなかで、知らない人から受ける親切を思った。
どこかの国のチョウの羽ばたきが、地球の裏側で竜巻を起こす。
私個人に、利権やきな臭い政治力はない。影響力だって半径5mない。
けれど、それら遠い世界の何かがもたらす恩恵を、知らないままにバタフライ効果で受け取っている。
そういう意味で私もなにかの争いの加担者だ。
知らないままの方が幸せなことが、世の中にはごまんとある。
無関心でこしらえた幸せに、17年前も違和感をおぼえたんじゃなかったっけ。
船に戻ったのは真夜中だった。
明日のピラミッド・ツアーは朝4時半起きだ。
寝ます。
1日目のエジプト夕食
・ジュース
・チョコレートアイス
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