【スリランカ編 3】違和感の正体

次はどこに向かうのか。
行き先もわからないまま4人はどこかへ向かっている。

もとい、ガイドと運転手の2人は行き先を知っている。
で、私とウノさんがわかってない。
冷静に考えると脇が甘々な観光客だ。

ドアのないトゥクトゥクの後部座席で風に吹かれていたら、急に思い出した。
Wi-Fiクエスト、まだだった。

がたがた道を一緒に揺られながら、スミンさんにたずねる。

「Wi-Fiが使えるカフェは近くにありますか? ネットを使いたいんです」
「あとで港の近くに戻ります。Wi-Fiが使える場所があります」

と、スミンさん。

「ぼくもWi-Fiつなぎたいから、一緒に行きましょう」

と、ウノさん。

「わかりました」

ウノさんはトゥクトゥクの座席で、風を心地良さそうに受けている。

「いやあ、しんがきさんのおかげで思ってもない展開になった。
ツアーよりおもしろい」

のんびりした声で言って、ストロー付の水筒から水を飲んだ。

「私こそ、ウノさんと一緒じゃなかったら、ガイドさんと一緒に行かなかったと思います。ありがとうございます」

のどの渇きを思い出して、私も水筒を取り出す。
跳ねるトゥクトゥクの揺れで、水筒の飲み口に歯をがちんとぶつける。
何度も飲もうとするが揺れてぶつかって一口も飲めず、あきらめてリュックにしまう。
トゥクトゥクに乗るときは、ストロー付の水筒が便利です。豆知識。

トゥクトゥクは海側から内陸に向かっているようだ。

スミンさんはトゥクトゥクに揺られながらピースボートの話をした。
ガイド歴40年で、ピースボートの乗船者を何人も案内してきたという。

「善い行いをすると善いカルマになる」

スミンさんも、カルマという言葉を使った。
バリのタクシー運転手、アノムとカルマの話をしたのが5日前のことだ。
スミンさんが信仰する宗教は知らないが、私たちを寺院に案内しながら彼自身も参拝する姿を見た。

20分ほど走っただろうか。
地図を見ると、キャラニ河(Kelani Ganga)に沿ってずいぶん内陸に来たようだ。

コロンボから北東へ12kmほど離れた、キャラニヤ(Kelaniya)という地域へ案内された。
ラジャ・マハー・ヴィハーラ(Raja Maha Vihara)これまでになく大きな寺院に着いた。

寺院や地域の名前は、船に帰ったあとで知ったこと。
トゥクトゥクを降りたときは、自分たちがどこにいるのかまるでわからない。
院内に入るとすぐに靴を脱ぐよう言われた。

スミンさんが説明する。
「ブッダがこの地で説教をした、沐浴もした。有名な聖地です」
「ここでも写真を自由に撮ってかまいません」

本堂の内部に入って圧倒された。
おおぜいの人が参拝におとずれているのに、静かなのだ。

ひたひた、静かな裸足の足音。
祈るときの衣ずれの音。
小さな子どももいる。老人も、青年も、家族づれもいる。
人が動くと、空気が動く。
手にした花が揺れる。
ココナツオイルの火が揺らめく。

これだけ多くの人が一堂に会して動いているのに、水の底のように静か。

壁画もすごかった。

スリランカの地に降り立つブッダや、人々に教えを説くブッダ、菩提樹の下で悟りをひらくブッダなど、フレスコ画が天井にも壁にも広がっている。

寝仏のブッダの黄金の像は巨大で、うすいカーテンの向こうに横たわっている。

人々が花をたむけ、飲み物や食べ物をささげ、真剣にお祈りをしている。

音楽が好きで、自身もウクレレを弾くというウノさんは、ブッダ像の周囲でさまざまな神様がさまざまな楽器を手にしている壁画の写真を撮ったり、静かに見つめていた。

壁画には、ブッダの生涯の物語が描かれているそうだ。
ブッダはスリランカに3度おとずれたと伝えられている。

船で初めて島に降り立つ様子のブッダの隣には、苗木がある。

「ここに描かれているのが菩提樹(ボーディ・ツリー)です。
樹齢2556年です。外にあるので、あとで案内します」

寺院には、生花と線香の香りが控えめにただよう。
あちらこちらの参拝台に、色とりどりの花が敷き詰めるほどたむけられているのに、花の香りが、ほのか。

仏像や建造物など無機物も、静か。
生花や人々など生気を放つものも、静か。

不思議な空間だった。

寺院の外に出る。

すらっとした男の子が私に声をかけてきた。

何かを話しかけるが、うまく聞き取れない。
物おじしないまっすぐな目と、好奇心がのぞく笑顔。
13歳だという。
日本から来たことを伝えると、嬉しそうな表情になった。
写真を撮らせてもらっていい?と聞くと、はい、と姿勢をただした。

スミンさんがやってきて、日曜学校の生徒だと教えてくれた。
彼の胸元のワッペンを指差す。
「寺院の制服です」

2556年にブッダが植えたという菩提樹は、本堂のすぐ隣にあった。

一本の樹には見えないくらい、大きい。
ブッダとともに菩提樹が来島して2500年以上で、それが樹齢。

後ろにぐーっと下がっても、写真のフレームに収まりきらない。

菩提樹の周りも、花や食べ物、水がたむけられている。

参拝者は水の入った容器を捧げて、次から次へと菩提樹のまわりへ集まってくる。

スミンさんが菩提樹の葉っぱをちぎって、「幸運に」と私とウノさんに渡した。

菩提樹の枝の先から葉っぱを直接ちぎったスミンさんに、ウノさんが
「落ちてる葉っぱじゃなくていいの?」
と訊くと、スミンさんは表情を変えずに、地面に落ちている葉っぱを2枚拾って私たちに渡した。

「これから、ブッダが沐浴した場所へ行きます」
とスミンさん。

脱いでいた靴を置いた場所へ戻り、靴を履く。

私たちと入れ違いに本堂へ向かう人たちの手には、生花。

露店では仏花を売られていた。
老若男女、花が似合うなぁ。

Kelani Ganga(キャラニ河)のほとりに着いた。

「ブッダが沐浴した場所」と示された看板が立っている。

河は茶色だった。
雨が降ったからか、それともいつも濁っているのだろうか。

観光客は誰もいない。

「あ、ここ」

ウノさんが、思い出したように言った。

「ここ、来たいと思ってたところだ。ブッダが沐浴した河。
街から遠いから、行けないかなと思ってたんだよね」

「そこにたまたま、来れたんですね」

河のほとりを少し散歩した。

「そろそろお昼にしましょう」

再びトゥクトゥクに乗って、街へ戻る。

地元のレストランへ連れていってもらうことに。
安くておいしいらしい。
何が食べたいか、とか。そういえば訊かれなかった。

着いた店は小さなレストランだった。
店の前にトゥクトゥクが停まり、中へ。

トイレを借りたいと言うと、トイレは外にあり鍵がかかってる、と、鍵を手に案内された。
トイレのドアの手前に、もう一つ入り口ドアがあり、錠がかかっている。
店員さんが鍵を開けてくれた。

店内には、料理の写真が4つ並んでいるが、どれにも値段が書かれていない。
テーブルは2つ。

ショーケースにはライスやチキンなど、店内写真とは見た目がまあまあ違うものが並んでいる。

飲み物は、道路を渡った先の売店で買ってきて、と。
ショーケースの上に並ぶコーラもスプライトも冷えていない。飾り?

向かいの売店で、コーラとスプライトを4本買った。
1140ペソ。1本120円くらい。

スミンさんと運転手さんの分の飲み物も買って、スミンさんに渡す。
二人は無言で受け取る。

食事はいらない、と二人が店の外に出ようとするので、せっかくだから一緒に食べましょう、と言うと、無表情でかすかにうなずいた。

飲み物に比べると、食事はかなり安かった。
一人あたり200円。
チキンビリヤニに、スリランカカレーがついてきた。

「カレーは辛いから、少しずつかけて」

小さな器に入ったカレーを、ライスにかけて食べるそうだ。
おいしい。そしてすごく辛い。汗がどっと出てくる。
全部は食べられなかった。

食事がすみ、街へ戻る。
汗や目隠しの布でこすれて、おでこの赤いしるしはほとんど流れ落ちてしまった。

途中、セイロンティーの専門店に寄った。

紅茶に詳しくないので、店主が数種類の茶葉の匂いをかがせてくれても、違いがわからない。
ペコーを試しに300g買ってみる。
それでも思ったよりたっぷりの量だった。
750ペソ、約300円。

ペター地区、街の中心部に戻ってきた。
午後2時。

港の目の前にコロニアル建築の立派なホテルが建っている。
そこの最上階、4階レストランで無料Wi-Fiが使えると、スミンさんが教えてくれた。
ホテルの前でトゥクトゥクが停まる。

「無料」でヌルッと始まった、5時間のガイドが終わろうとしていた。

ウノさんと私は、それぞれの財布に手を伸ばす。
「支払い」です。

無表情の運転手とスミンさんがなにごとか話している。
それからトゥクトゥク運転手へ「50ドル」とスミンさん。

二人ぶんで? いや、一人で。

それはさすがに高いだろう。

搾取したくない。だけどぼったくりもされたくない。

朝から半日、ずっとかたい表情のスミンさんと運転手。
支払い要求も無表情だ。
相場はわからなくても二人で100ドル、トゥクトゥクで一万円超えはさすがに高い。

金額交渉をしようと思いつつ、何をどう言おうかぐるぐるしている私を横に、ウノさんはあっさり50ドルを彼に支払った。

「まあ、おもしろかったから、いいよ」

と、おおらかなウノさん。

結局、確たる信念も強い主張もない私は、ウノさんにならって同額を払った。

ペソとアメリカドルを合わせて、50ドル分。
無表情で受け取る運転手。
うううん。うーん。

トゥクトゥクが去った。
ホテルの前で、スミンさんとウノさんの3人になった。

無料ガイドの支払いは、ウノさんと私と二人合わせて8000ペソ(約3500円)で話がついた。

うん。決して高くはない。
しかも、ウノさんが「楽しかったからいいよ」と私の分まで払ってくれた。
ありがとうございます。
ありがたいです。ですけど。

私たちが自力では行けなかっただろう場所へ、いくつも連れていってもらえた。
私たちが自力で体験できなかっただろう時間を、いくつも味わわせてくれた。

感謝をしめして、ちゃんと対価を払いたい。

搾取したくはないし、ケチりたくもない。
だけど、ふんだくられたくも、ぼったくりもされたくないんだよなぁ。

このあんばいを、たった一日の滞在でつかもうったって虫がよすぎるか。
「失敗したくない」自分のセコさが浮かびあがる。
お金というむき出しの道具が、こんなふうに「私」を浮かびあがらせてくれる。

損得勘定で考えると、うまくいかないときがある。
かといって損得いっさい抜きで、相手にゆだねればうまくいくとも限らない。

旅行会社に勤務して海外経験が豊富なウノさんは、ウノさん。
私は、私だ。

異文化、異国、異宗教、そもそも異なる人間。
「無料だから。お金はいらない」と強引にガイドを始めたスミンさんが、途中お金の話をいっさいしないまま、最後に請求するやり方。
私の経験値はちっぽけで、スミンさんの商売にどーのこーの言えない。

だからといって、半日つきまとった違和感を「楽しかったから」でなかったことにもしたくない。
この違和感の正体は、後出しジャンケン感なのかなぁ。なんなんだろ。

いそいで、何かを結論づけないでおく。
わかりやすく、まとめたりしないでおく。
違和感を違和感として歓迎しておく。

今日の体験も、経験値にカウントされていきます。

やや強がり風味だけど、それでいいです。
本場スリランカカレーも、辛すぎて全部食べられなかったし。

グランド・オリエンタル・ホテル4階のレストランは、見晴らしがとてもよかった。
大きな窓の向こうに、私たちの乗ってきた船が見えた。
7.7万トン、収容人数2400名の巨大な客船が、遠く、ちいさく見える。

スミンさん、いい場所を教えてくれてありがとう。

ウノさんがテーブルの向かいに座り、ウェイターにハイネケンを注文した。
私はコーラを注文して、ほとんど一気に飲みほした。

リュックから、ようやくMacBookAirを取り出す。
5日ぶりにつながったWi-Fiから、シンガポールの原稿を送った。

そういえば、虫除けスプレーの出番はありませんでした。

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