「認められたい」承認欲、誰に?

ひとに応援してもらう。という挑戦をやってみた後日談。

結果、昨日のメルマガに「いいね」を 53いただいた。

押してくださった方、ありがとうございます。

人の本質を学ぶ場で、人間の欲求の中でも「承認欲」は108もの煩悩の最後、ラスボスに鎮座すると教わった。

認められたい。

承認されたい。

すごいと思われたい。

厳しい修行をおこなう名僧ですら、この煩悩からは自由になれずにいたという。

高名なお坊さんでもなく、悟りから遠い場所で小さくバタつくわたしも同じく、承認欲の塊だ。

認められたいし、すごいと思われたい。

承認欲求と劣等感をガソリンにして動いてきた。

だけど、そういった「黒いエネルギー」で動いていると、成果や結果は得やすいけれど、バーンアウトしやすい。

なんどか燃え尽きた経験から、承認欲求を燃料にすると身を焼き尽くすと知った。

それで10年前、SNSの「いいね」の数に一喜一憂していたのをやめた。

それから10年後、よかったら応援お願いします、とメルマガに「いいね」ボタンを設置した。

行きつ戻りつ、どれが最善かは今もよくわかっていない。

わからないので、動きながら考え続けている。

そんな今、ふたつ思うことがある。

ひとつは、承認欲がなかなか消え去らないなら、それでもいいということ。

エゴ(我欲)を削ぎ落とす訓練をしつつ、なお消えない承認欲を否定しないでいっしょに生きてみればいい。

もうひとつは、自分が自分を認めることから始まるということだ。

今もなお他者から認めてほしい自分を自覚しながらも、それよりも先立つのは、「自分が自分を認めること」だと知っておくこと。

同じ承認欲でも、他者に求めるのは海水を飲むようなものだ。

得るほど渇く。

そうではなく、自分自身からの承認を得るのだ。

誰かと比べず、今日を生きる自分を認める。

なりたい、在りたい自分を目指して生きる「途上の自分」を認める。

なにか成したいことがあるとき。

それを成す理由を、他者からの承認や、他者を見返したいなどの「他者」をベースにしないこと。

成したいことの源泉を「自分」の底から引くこと。

決めたなら、誰がなんと言おうがやること。

それはとても大切だ。

というより、すべてはそこから始まる。

そのうえで、応援をいただく謙虚さをもつこと。

なぜかというと、きっと成したいことの多くは、自分一人では成しえないことだからだ。

ブッダもマザーテレサも大谷翔平さんも、成したいことを掲げて動き、多くの人から賛同や応援を受けて、ことを成している。

さきに挙げた偉人たちに、どれほど承認欲があったのかどうかわたしはわからない。

わたしはわたしの人生で実験してみるしかない。

決めたなら、誰がなんと言おうがやる。

不器用な道のりでかまわない。

自己承認という白いエネルギーを燃料に動きたい。